5月のある日 図書室で
今週の子どもたちとのおしゃべり。
初めて本を借り始めた1年生。その行為がうれしくてたまらない反面、借りたい本をめぐっての小競り合いが勃発する。
1冊の本をめぐってじゃんけんした男の子たちの事情を聞く。
じゃんけんに負けて泣いている子は、「僕が先に見つけたのに。」
真偽のほどは当事者しかわからないけれど、出来るだけ納得できるように交通整理するのが私の役目だ。そんなにまでして借りたかったのは、「ほねほねザウルス」でした。
4年のAちゃんからのリクエスト、「星空点呼 折りたたみ傘を探して」が来て、やっと本人に手渡せたのが先週。
もともと新聞の広告を見て、「この本が読みたい」と言いに来たのだが、その時には新聞の現物はなく「星空点呼」のタイトルも出てこない。「なんとか点呼やった」「え〜、体育の本か?」なんてとんちんかんな会話で、その後探してようやくたどりついたのだった。
そして、今日返しに来たAちゃんと話す。
Aちゃんは、少し泣きそうになったと言っていた。そうそう、先生もそうだったよ(ほんとは、泣いちゃったけど)。Aちゃんが新聞で見つけてくれたからやで、ありがとう。ふふふ、とAちゃん。
心がぐいぐい入って読んでしまう本。20歳の男性が主人公の、ちょっと変わった冒頭で始まるが、これがいいんだなあ。
「星空点呼 折りたたみ傘を探して」(嘉成晴香/作 朝日学生新聞社)
2年生の図書の時間で。
読んだのは、「ロッコくん、ジュースのまちへ」(にしまきかな/作・絵 福音館書店)。
月の子どもがおちてきたのを見たロッコくんが、助けに出て2人でジュースの町へ出かけていく。
子どもたちに「何のジュース好き?」と聞くと「ファンタ」「ポカリ」「カルピス」とかえってきた。
この絵本には、「雨のジュース」「おばけのジュース」「月のジュース」が出てくる。どんな味だろうとわくわくする、絵も楽しい。
おばけのジュース工場に、ベルトコンベアーが描かれていた。それを見ていて、ふと子どもの頃に森永の牛乳工場があったことを思い出す。牛乳びんがコンベアーに並んでて、次々に牛乳→紙の丸いふた→セロファンのようなかぶせるもの…という作業工程がガラス越しに、外から見えるのだった。私は、それを見るのが大好きだったなあ。
そんなことを読み聞かせのあとに子どもたちに話すと、みんな興味深そうに聞いてくれた。
最近めっきり図書室に来なくなったY君。低学年の時は、よく顔を見せては「クッキーのおうさま」を読んでとねだっていた。まあ、今はもう4年生なんだけど。
その彼が久しぶりに来て、廊下から手をふっていた。
「Y君、なに持ってるの。」
「鳴子です。」
「ああ、これ踊るんや。鳴らしてみて。」
Y君は、廊下で鳴らしたらあかんからと礼儀正しく言ったのだが、私は一回だけとせがんで自分でカタカタ鳴らした。すると、向こうで同じ4年生が「鳴らしたらあかんやろ!」とY君に言っている。
「ごめん、ごめん!先生が鳴らしちゃった!」と、私はあわてて他の子にY君じゃないことを知らせた。
にこにこしてる優しいY君だったが、「きつねのかぎや」(三田村信行/作 あかね書房)を持っていた私の手元に目を留めると、「先生、ちょっとだけ読んでくれる?」と。
「いいよ。中においで。」
5分くらいだけの読み聞かせ。すぐにキンコンカーンと予鈴が鳴る。
「つづきは、また今度。」
「じゃあね。」
体操服で体育館にかけていくY君。少し、リラックス出来たかな。
もうすぐ体育大会で、学校がそれ一色になっている時の、図書室でのこんなひととき。
今の時代につなぐ
あれから「家なき子」マイブームが訪れ、図書館で借りた国土社のをアマゾンで購入する際に、ひろりんさんが読み親しんだというポプラ社版も手に入れた。
そして、どちらも面白く読んだ。
ポプラ社版の方が分厚く、出版も古い。訳も懐かしいような文体で、よりレミが語る感じで進められている。
このシリーズで、「小公子」や「小公女」を読んだのじゃなかったかな。
よく探したら、我が図書室にもポプラ社版があった。
これで、3冊ある。
よし、いこう。
ということで、今日4年生に紹介してみた。
私が子どもの頃に読んだ思い出から、今回何十年ぶりに再読したこと。すると、突然記憶がよびさまされたこと。子どもの頃に強くひきつけられた場面が、心の奥深くで残っていたことにびっくりしたこと。
そんな話をした後に、あらすじをざっと紹介して、ビリタス一座の劇の様子を文章を読みながら一部を再現してみた。
すると、何人もの子が読みたいと言ってくれたではないか。
じゃんけんして順番を決めている子どもたちを見て、私は優れた古典をいまの時代の子どもたちに渡せた喜びを、かみしめた。
そして、やっぱり4年生からっていうのが、大事なのかも…と思った。
5・6年生だと、もっと手を出す率は減る。
本当は、今の子の読書力からいうと4年生ではきつい。
でも、4年生は「読んでみよう!」と思える気持ちの柔らかさがある。
このぐらいの時期から、こうした歯ごたえのある読み物に慣れる体験が必要なのだと思った。
極端に言えば、読み切ったかどうかが問題なのではなく、読もうという意思があり実際に手に取ってみる。そこがあるかないかで、その後大きく違ってくるように思う。
それはもっとさかのぼれば、低学年の時期に幼年童話をしっかり読んだかどうかだろうし、幼児から1年生はおもしろいと思う絵本を充分に楽しめたかだと思う。
家なき子を紹介したあと、このところ連続読み聞かせになっている竹崎有斐の童話を読み始めると、Hちゃんが言った。
(私は、童話の場合も挿絵があるときは、絵本と同じように子どもたちに見せながら読むようにしているのだが、その活字を見て)
「さっきの家なき子の字にくらべると、大きく見えるわあ。」
「ほんまやなあ。」
Hちゃんの言葉は、すごく実感があった。
でも、読みたいと思ったのだろう。
Hちゃんは、「家なき子」じゃんけんに参加した。そして、負けちゃったのだった。
私の本、2冊。そして図書室の1冊。計3冊の「家なき子」は、それぞれの子どもたちが借りていった。
ほんとに地味な古い本。
紹介しなければ、おそらく手に取りもしない本。
本に光をあてる。
どう光をあてるか、それが問われる私の仕事だ。
なつかしいレミ
はじまりは、学校で子どもがこの本がないかと聞いてきたことからだった。
ああ、懐かしいなと思い、でもこんな本を今の子がよく知ってるなと驚いた。
聞いてみると、どうやらお母さんのすすめだったらしいのだが。
でもその本「家なき子」は図書室になく、自分も読みたくなって図書館で探してみた。
それで借りたのが、末松氷海子さん訳の国土社のもの。
子どもの頃、名作全集のうちの一冊で我が家にあったのは、誰の訳だったんだろう。もっと、大きな字でダイジェストになっていたかもしれない。レミという名前と、船で旅をしているお金持ちの親子のことくらいしか覚えていない。でも、私はこの「家なき子」が好きだったことは覚えている。
それで、読み始めたのだが…それが面白くて夢中で読んでしまった。
貧しくても品性を失わないレミ少年に、思いのほか心をひかれる。
自分が売られるって、どういうことなんだろう。
日本でも、かつては多くあった。子どもが明日を安心して思い描けないのは、どんなに苦しいことだろう。
でも、この作品は心無い大人の側の背景も描かれる。
特に、レミと行動を共にするビタリスおじさんの人格にひきつけられた。単に人がよいのではなく、この人も人生の厳しさを体験していてその何層にもなる感情の幅に私は打たれる。
そして、置かれた条件のなかでせいいっぱい生きるいろんな人間たち。
まあ、最後はみんなおさまるところにおさまり、お手盛りじゃないかという見方もあるのだが、それぞれの登場人物の描き方に説得力があり、私はおおいに楽しんだ。
それで、読んでいくとはっと思い出していくのだ。
川を下っていく「白鳥号」。
ああ、そうだった。船の舳先に、白鳥の頭があったっけ。そんな挿絵があった。そこに体の悪い少年とお母さんがいたのだ。船が家になっていたのだった。
アーサー。
ミリガン夫人。
そうそう!そんな名前だった。
幼い頃にめくった本の様子が突然思い出され、私はすごく幸せだった。
こんな風に、ずっと奥底に眠ってて、ぱっと思い出すことってあるんだなあ。
この本、いまの小学生でも十分いけるなあ。
今回、他の人の訳は読んでいないが、末松氷海子さんのは読みやすく、作品の世界を十分に理解した方の文章に思えた。フランス文学をずっと翻訳されていて、絵本も多く訳されているそうだ。
職業上のアンテナがぐっと立ち、作品を吟味し冷静な判断をする一方で、子どもの自分に再会し、分析せずにまだまだ漂っていたいような気持にもなった。
「家なき子」が書かれたのが1878年。
ざっと137年前。100年以上たっても出版されて、今も読まれているってすごいことだな!
これからも、長く読み継がれてほしい本だ。
どこからの切り口で、子どもたちに紹介しよう。
今は、それを考えている。
年があけて
結婚以来、もう20数年お正月は帰省していたので、いつも私は招かれる側だった。おせちを作って持って帰ったり、京都から珍しい食べ物を買って帰ったりすることはあっても、やはり準備する側ではなかった。
それが、昨年の6月に義父が亡くなり義母がこちらに来て、なんと招く側になったのだ。
勿論まだ喪中なので、やらないことはあるけれど、それでも義母を囲んで内輪でおせちをいただいた。長野から義兄夫婦も来てくれて、義父を偲ぶとともに義母の健康を願って集まった。
出来るだけいつもと同じように、向こうで取り寄せられるものは頼んだり、義姉が全部取り計らってくれた。
私がやったのは、家の大掃除(これが、大変だった。ギャー!)。
お煮しめ(これは、実母のお手製。フフフ)
きんとん(これだけは、毎年手作り。自慢にもならないが。ヘヘヘ)
お雑煮(我が家は、白味噌ではなく、すまし汁です。)
はなびらもち(京都でお正月に食べる生菓子。これは買っただけだけど。)
信州の郷土料理「鮭かす」は、娘が勤務先の近くで新巻鮭を買ってきてくれて、夫が調理してくれた。
義母は、時折泣いたりみんなを元気に仕切ったり忙しかったけれど、よい集まりになったのではと思う。
みんなで花札大会もした。
招く側になって、今まで見えてないことがなんと多かったことかと反省する。
私なりにやってきたつもりだと思っていたことが恥ずかしい。やっぱり呑気なお嫁さんだったのだな。
そんな私に、いつも陽気に話しかけてくれて、美味しい干し柿をふるまってくれたお義父さん。(自家製の干し柿は絶品だった)
私の出来ることで、少しずつおもてなしをしていこう。
娘が、私を見ていて「だしの取り方を教えて」と言った。
こうして、味が受け継がれ、いろんな風習が伝えられていくのかな。
この年になって、また発見があり、煩わしさも当然あり楽しいことばかりではないけれど、これも役目だと思えた年末年始だった。
そして、実家で一人暮らしの母のことも、心においていかねばとあらためて思う。
そんなわけで、ここ2年ほど滞りがちなブログだったけれど、また書きたい気持ちはなくなってはいないので、ある限りはぼちぼち綴っていこうと思う。
年末の会話
年末、母と話をしていて。
「お母さん、私、小さい時から本好きやった?」
「そら、好きやったなあ。」
「4人のなかでも、一番?」(私、4人姉妹です)
「お姉ちゃんが小学校入って、家で教科書読んでるやろ。あんた、横でちょこんと座ってじっと聞いてるんやで。いくつやった、お姉ちゃんが1年生やから、4つか。」
「ちがうえ、お姉ちゃんと私は4つ違いなんやから、お姉ちゃんが1年生やったら、私は2歳から3歳にかけてくらいやんか。」
「え〜、そんな小さかったんかいな。とにかく、黙って横で聞いてるねん。あれは、他の子にはなかったな。」
母は、他のことはほとんど覚えてないけど、このことはよく覚えてると言った。
私は4つまで末っ子で、下に妹が出来たのでその時の淋しさや悲しさをおぼろげに覚えている。きっと母は、妹の子育てで私の小さい頃のことを覚えてる許容量がなかったのだろう。真ん中って、そんなとこあるけど。
いつも忘れられてることが、育ちの中で私を淋しがり屋にもさせたが、親の目が行きとどかないことをいいことに自由に何でもやったようにも思うから、そうひがんでいたばかりではないのだ。
ずっと忘れていたそんな感情が久しぶりに思い出され、はっきり覚えていると言ってくれたことに、気持ちが揺れ自分でもへんなのだが、なんか涙が出そうになった。
「お母さん、なんとかの童話集とかいうやつ。全集になってたの、買ってあげて何回も読んだげたなあ。あんたら、よう聞いてたわ。」
「覚えてるよ。私、シンデレラが大好きで、お姉さんたちが洋服を選ぶのにタンスを開けっぱなしにしてる絵が大好きやった。ほとんどその挿絵覚えてるわ。」
「そうか、お母さんは何にも覚えてへんわ。」
坪田譲治と村岡花子が監修をしていて、イソップからアンデルセン・日本民話などの童話集で、あかね書房が出している本だ。
「おひめさまの童話集」はまあ普通だが、「大男と小人の童話集」「花とほしの童話集」など、題名もふるってる。私は、この本を自分のものにして自宅に所蔵している。特に、水沢研という方の絵が好きなのだ。そして、レイアウトもすごく素敵なのだ。
おせちを一緒に作りながら(作ってもらいながら)、そんな会話をした。
子どもの頃は嫌いだったくわいが、今はそのそっけない味が好きだ。
毎年リクエストして炊いてもらう。ぼうだらは、父は好きだったけどもういないし、私も母も嫌いなので、これはパスだ。
お母さん、くわいを食べていつまでも長生きしてや。
掛け値なく愛するということ
公立の学校って等しく子どもたちが来るところなので、いろんな家庭環境や経済状態の子がいる。
その当たり前の事実にはっとする時が、学校司書だって多々ある。
その子の具体的な事情を知らなくても、垣間見せる会話や表情や反応に厳しい現実を見て、学校に来ているだけで「よう来たなあ。それでいいやん。」と思う。
その時、その時に私のもっているもので、話したり聞いたりすることしかできないのだけれど。私は本を通してかかわることがほとんどなので、物語の世界からの対話(のになっていれば、いいのだが)になるから、直接そのことに触れる会話とは違うのだけれど。
まあ、私学の学校だって、経済的を除けば同じだろう。結局、子どもがたくさん通ってきて日常的に集団生活を送る場に居合わせれば、その背景も見えるということだ。
この「しずかな日々」(椰月美智子/作 講談社)を読んであらためて、その子に厳しい現実があっても、親でなくてもそれぞれまわりが愛をもってかかわることで、その子は前を向いていけるのだな、と思った。
また同時に、「しずかな日々」言いかえれば、毎日の暮らしを家族と丁寧に過ごす日々を求めていた少年の、かなわぬ悲しみが切々と伝わってきた。
いや、この言い方は正しくない。少年は、丁寧に日常を慈しむ生活をかなえたのだ。ただ、お母さんとの生活がかなわなかったのだ。その楽しい日々の裏に、少年の決意と彼は絶対言わないだろうけど悲しみが見えるのだ。
ここに、ぐっときた。
この子が安心するもの。
おじいちゃんの塩むすびだったり、家でつけた漬物だったり。
古屋の縁側だったり。
学区を超えた地域のある場所で、野球をすることだったり。
そして、ひょんなことから出来た友だち。
出来てしまったら、それまではいったいどうして過ごしてたんだろうとわからなくなるくらい、楽しい時間になる。
「エダイチ」というあだ名の由来も、おかしい。
あの子も、あの子も、この子のようにいろんな感情もってるんだろうな。
見えているところだけで解ろうとすると、ぜったいに解らない。
そんなことを思いながら、読んでいた。
そして、この本は主人公の母の描き方が強く印象に残る。
母の言い分を描いてないところが、私はいいと思う。
その分、あくまで少年から見た描き方になっていて、その主観がみずみずしいのだと思う。
おじいちゃんが、母(娘)を見つめる目も、少年(孫)を見つめる目もどちらもとても優しい。深い愛情を感じる。
少年の苦しみをわかった上で、母を案じる。そこが、大人だよなあ。
私は、どんな大人でいられるだろう。
椎野先生みたいに?
さてどうだろう。
丁寧な暮らしって、本当は誰にでも必要なものなのだけれど。
年末の仕事をあれこれしながら、この本の世界に行ったり来たりしてぼうっと考えてしまう。
この物語は、前を向いていく希望を描いているのだ。
少年らしい感性があちこちに顔を出す、
でも読後に、少年のきっぱり決意した顔を思い浮かべてしまう。
書名の「しずかな日々」の意味とその重さを、考えてしまう…そんな本だ。
この作者の「るり姉」は好きな本なのだが、この本もよい。私は「十二歳」よりもいいな。
絵でこころをあらわす
はや、3カ月近く立ってしまった。
ほんとに今年ったら、もう。
あれから、京都国立近代美術館へ、ホイッスラー展も見に行ったのよ。
私の見たかった白のシンフォニーは展示されていなくて、ホイッスラー画集を見てやっと出会えた。白の壁に立つ、白いドレスの女の人。とても美しい人。
白のシンフォニーって、ひとつじゃないこともわかった。有名なのは、こっちの方みたいでした。鏡に映った顔が、なんだか疲れたような違う人格のような感じがして、私にとっては不思議な絵だった。
言葉でない方法で、自分を表現出来るっていいなと常々思っているので、特に絵であらわせる人には憧れのような感情を抱く。
自分も描く時もあるけれど、回りに「この人ならでは」という人がいるので、やはりそれにくらべると私なんて平凡な気がする。
この「ぼくの、ひかり色の絵の具」(西村すぐり・作 大野八生・絵 ポプラ社)が目にとまったのは、まず表紙の絵がすごくきれいだったから。ああ、小中学生の時に画版で描いたなあ、とか。
消防車が校庭に来て、みんなで描いたっけ。
中学の近くのお寺(全国でも有名)に描きに行ったなあ、とか。
など、ふっと思い出すような絵だった。
オンリーワンを安易に描いた話だとつまんないなあと思いながら読み始めたが、どんどんのめりこんでユクという少年の確固たる人格に魅了された。
そして、その時々の生活の多忙さに大人はつい大事なことを忘れてしまうのだけれど、「ああ、そうだったんだよな!」と振り返るのに、芸術はなくてはならないものなんだと、あらためて思った。
あとがきで、作者の西村さんが「たくさん考える、やさしい心をもった口べたさんを応援したくて、この物語を書きました。」と言っている。
そう、たくさん考えるからどう言ってわかんなくなるんだよね。
何も考えてないからじゃないんだよね。
絵を描くユクくん。
植物が好きな、ハネズちゃん。
二人の友だち、ケイタ。
ガウディ先生と、石丸先生。
石丸先生もそりゃないよと思うけれど、その描き方がへんな飛躍がなくて、私は好感を持った。
画材屋さんに行って、ちょっと高い絵の具をながめて物色したいような。
いや、とにかく描いてみたいな、と思える本だ。