なつかしいレミ

はじまりは、学校で子どもがこの本がないかと聞いてきたことからだった。
ああ、懐かしいなと思い、でもこんな本を今の子がよく知ってるなと驚いた。
聞いてみると、どうやらお母さんのすすめだったらしいのだが。

でもその本「家なき子」は図書室になく、自分も読みたくなって図書館で探してみた。

それで借りたのが、末松氷海子さん訳の国土社のもの。

子どもの頃、名作全集のうちの一冊で我が家にあったのは、誰の訳だったんだろう。もっと、大きな字でダイジェストになっていたかもしれない。レミという名前と、船で旅をしているお金持ちの親子のことくらいしか覚えていない。でも、私はこの「家なき子」が好きだったことは覚えている。


それで、読み始めたのだが…それが面白くて夢中で読んでしまった。

貧しくても品性を失わないレミ少年に、思いのほか心をひかれる。

自分が売られるって、どういうことなんだろう。
日本でも、かつては多くあった。子どもが明日を安心して思い描けないのは、どんなに苦しいことだろう。
でも、この作品は心無い大人の側の背景も描かれる。
特に、レミと行動を共にするビタリスおじさんの人格にひきつけられた。単に人がよいのではなく、この人も人生の厳しさを体験していてその何層にもなる感情の幅に私は打たれる。

そして、置かれた条件のなかでせいいっぱい生きるいろんな人間たち。
まあ、最後はみんなおさまるところにおさまり、お手盛りじゃないかという見方もあるのだが、それぞれの登場人物の描き方に説得力があり、私はおおいに楽しんだ。

それで、読んでいくとはっと思い出していくのだ。

川を下っていく「白鳥号」。
ああ、そうだった。船の舳先に、白鳥の頭があったっけ。そんな挿絵があった。そこに体の悪い少年とお母さんがいたのだ。船が家になっていたのだった。
アーサー。
ミリガン夫人。
そうそう!そんな名前だった。

幼い頃にめくった本の様子が突然思い出され、私はすごく幸せだった。

こんな風に、ずっと奥底に眠ってて、ぱっと思い出すことってあるんだなあ。

この本、いまの小学生でも十分いけるなあ。
今回、他の人の訳は読んでいないが、末松氷海子さんのは読みやすく、作品の世界を十分に理解した方の文章に思えた。フランス文学をずっと翻訳されていて、絵本も多く訳されているそうだ。

職業上のアンテナがぐっと立ち、作品を吟味し冷静な判断をする一方で、子どもの自分に再会し、分析せずにまだまだ漂っていたいような気持にもなった。

家なき子」が書かれたのが1878年
ざっと137年前。100年以上たっても出版されて、今も読まれているってすごいことだな!
これからも、長く読み継がれてほしい本だ。

どこからの切り口で、子どもたちに紹介しよう。
今は、それを考えている。