読んでから観た場合

この夏、映画「怒り」が毎日のように宣伝され、書店には本が並べられ…。
そうか、「悪人」の吉田修一かとやっと結びつき、本を読みました。

そして、先日映画も観てきました。

とにかく豪華キャストで、原作のイメージと結びつかなかった宮崎あおいが「お父ちゃん」と声を発した時、見事に「愛子」になっていたのに感心しました。

それと、沖縄の高校生を演じた宝くんがよかった。
彼の、10代らしい感性がはじけていて、彼が泣くと私も泣けて困りました。ただただ未来の「辰也」に幸せがありますようにと、映画が終わってもずっとひきずっていました。

でも、でもさ、本を見なくて映画観た人はどうだったんかな。
行間を読むような引き算の映像が多いので、わかったんだろうかとも思いました。
私が思うに、地を這って生きる幸せなんかあるのかと、悩める人間たちを描く吉田修一の文学の世界に惹かれる者は、李相日監督の「怒り」の映画化への想いに共感出来たら、より深く楽しめる気がします。
登場人物に思いっきり愛をこめて、それぞれの役者さんたちがそれぞれの見解で演じる「ラブレター」のような映画です。

犯人の人物像にもう一歩つっこんで、原作とは違うものにしていったのがどうなのか、そこは評価が分かれるかもしれないけれど。

その好みは別として、熱のようなものを放っている映画であり、私も一員になって「怒り」の原作の魅力を語っているような気持になりました。

たいがいは、読んでから観るとなんだかなァってなるのですが。
今回は、読んで、観て、ほうっと思って、また再読して本の世界をひとめぐりした私でした。

ただ、本で優馬の子ども時代のエピソードがいくつか出てきて、特に新聞配達のくだりででの優馬と直人の会話がすごく好きだったので、映画でそこがすこんと抜かれていたのが不満でした。

そっち削って、犯人の生きた人物像の方とったんだね、きっと。


一緒に観に行った娘と(彼女は読まずに観たタイプ)、忌憚なくあれこれ感想を言い合ったのも楽しかったです。