今の時代につなぐ
あれから「家なき子」マイブームが訪れ、図書館で借りた国土社のをアマゾンで購入する際に、ひろりんさんが読み親しんだというポプラ社版も手に入れた。
そして、どちらも面白く読んだ。
ポプラ社版の方が分厚く、出版も古い。訳も懐かしいような文体で、よりレミが語る感じで進められている。
このシリーズで、「小公子」や「小公女」を読んだのじゃなかったかな。
よく探したら、我が図書室にもポプラ社版があった。
これで、3冊ある。
よし、いこう。
ということで、今日4年生に紹介してみた。
私が子どもの頃に読んだ思い出から、今回何十年ぶりに再読したこと。すると、突然記憶がよびさまされたこと。子どもの頃に強くひきつけられた場面が、心の奥深くで残っていたことにびっくりしたこと。
そんな話をした後に、あらすじをざっと紹介して、ビリタス一座の劇の様子を文章を読みながら一部を再現してみた。
すると、何人もの子が読みたいと言ってくれたではないか。
じゃんけんして順番を決めている子どもたちを見て、私は優れた古典をいまの時代の子どもたちに渡せた喜びを、かみしめた。
そして、やっぱり4年生からっていうのが、大事なのかも…と思った。
5・6年生だと、もっと手を出す率は減る。
本当は、今の子の読書力からいうと4年生ではきつい。
でも、4年生は「読んでみよう!」と思える気持ちの柔らかさがある。
このぐらいの時期から、こうした歯ごたえのある読み物に慣れる体験が必要なのだと思った。
極端に言えば、読み切ったかどうかが問題なのではなく、読もうという意思があり実際に手に取ってみる。そこがあるかないかで、その後大きく違ってくるように思う。
それはもっとさかのぼれば、低学年の時期に幼年童話をしっかり読んだかどうかだろうし、幼児から1年生はおもしろいと思う絵本を充分に楽しめたかだと思う。
家なき子を紹介したあと、このところ連続読み聞かせになっている竹崎有斐の童話を読み始めると、Hちゃんが言った。
(私は、童話の場合も挿絵があるときは、絵本と同じように子どもたちに見せながら読むようにしているのだが、その活字を見て)
「さっきの家なき子の字にくらべると、大きく見えるわあ。」
「ほんまやなあ。」
Hちゃんの言葉は、すごく実感があった。
でも、読みたいと思ったのだろう。
Hちゃんは、「家なき子」じゃんけんに参加した。そして、負けちゃったのだった。
私の本、2冊。そして図書室の1冊。計3冊の「家なき子」は、それぞれの子どもたちが借りていった。
ほんとに地味な古い本。
紹介しなければ、おそらく手に取りもしない本。
本に光をあてる。
どう光をあてるか、それが問われる私の仕事だ。