負の感情と付き合うって?


「子どもべやのおばけ」(カーリー・ゼーフェルト/作 倉澤幹彦・本田雅也/訳 福武書店)。

自分のなかにある負の感情とうまくつきあえない子どもが多いように、前から思っていた。あって当たり前なのに、認められないからないものとして扱ったり、逆に正当化して正の感情にしてみたり。
負の感情は、負の感情だと、私は思う。
人を羨んだり、妬んだり、欲望が肥大したり。
「正」にはなり得ない。
なり得ないけど、消えてはなくならない。
その事実を受け止める度量が、足りなくなってきているように思う。

恥ずかしい自分もいると自覚しながらつきあい続けていくのと、相手に非をかぶせてだから負の感情持つのは当然と開き直るのとは、本質的に異なるのではないだろうか。

この本を読みながら、そんなことを考えた。


ユッタ、イーミ、ベンノーは3人兄弟。
両親が自宅の一部を喫茶店として開くために、一家は新しい家に引っ越してきた。
しばらくすると子どもたちは、新しい家が気に入ってきた。
特に、子ども部屋のある屋根裏の階はすてきなのだ。
そこで、500年前に馬から落ちておばけになってしまったフローリアンに出会うなんて…!
過去の罪をつぐなうためおばけのまま一人ぼっちで過ごす、フローリアンを救うために、3人は黒いカチカチの玉「けんかリンゴ」を布でふいて金色にしようとする。
いくら磨いてもなかなかこびりつきが取れないりんご。
しかも、3人兄弟がけんかをしたら、りんごはまた黒くなってしまうというのだ。
課せられた期日は一週間。
3人はフローリアンを救えるのだろうか。


くっついて育つ兄弟ならではのいがみあいやけんか、感情のもつれを、生き生きと描いている。
そして、「ほんとはこんな気持ちなのにな…」と心のなかで思う本当の気持ちを、おばけのフローリアンが代弁してくれることで、いつのまにか3人は折り合って暮らすことを覚えていく。
感受性は豊かだが人とのコミュニケーションが不器用なユッタ、はっきりしていて行動力はあるが感覚派のイーミ、無邪気な天真爛漫さがいいのだが、まだまだ幼く自分を抑えきれないベンノーの3人の人物造形が、とてもいい。
なかでも、ユッタが悩みながらもひとつひとつ自分の感情と折り合いをつけていく過程は、ていねいに描けていると思う。

長女のユッタが変わることで、次女のイーミもお姉ちゃんとうまく距離のとれる付き合い方を学んでいく。
そんなイーミを見て、ユッタは思う。

「イーミはほんとうにちっともうらやましがっていないようでした。相手が喜ぶことをしてあげると、うらやましい気持ちなんて消えちゃうのかな?
 わたしもためしてみよう、朝になったらすぐに。そう考えると、みんなにやってあげたいと思うことがつぎからつぎへと頭にうかびました。」
(本文より)


ユッタがそう思えたことって、すごく大きいことだよね。
うらやましい気持ちを自分でおさめることの出来た原因が「相手をただ想うこと」からきた。


ここに、負の感情との付き合い方の答えがあるような気がする。