夏休みの読書②

昨日のニュースで、ヒロシマナガサキ原爆の日を知らない若い人が多いと言っていた。何パーセントかははっきり覚えていないが、答えられる人は半分にも満たなかった。

昨日は日曜日ということもあり、例年よりナガサキの原爆の報道をよく見たように思った。
恥ずかしいことながらヒロシマの8時15分というのはすぐ出てくるが、ナガサキの11時2分というのは8月9日は知っていても何時何分まではおぼつかない。
原爆の被害を受けたのは同じで、こうして知るということは大事なことだなあと、反省も込めて思ったのだった。

夏休み読書のつづきは、「五十年目の手紙」(長崎源之助・作 山中冬児・絵 ポプラ社)。

これは1996年に書かれた、ヒロシマの原爆で亡くなってずっと幽霊でいた女の子の物語だ。そして、女の子に出会って原爆の事実を知る男の子の物語でもあり、かつて少年だったおじいちゃんの物語でもある。おそらく戦後50年を迎えて長崎さんが思い、書かれたのだろうが、戦後70年の今でも変わらずに伝わってくるものがある。


お父さんの転勤で京都から広島に引っ越しした弘は、近所の女の子に案内されて平和公園に行くために広島のヒロデン(広島電鉄)に乗る。
そこで、途中で乗り込んできた女の子に「チロちゃん!」と声をかけられる。
人違いだという弘に、女の子はあんまりそっくりだったからといい、自分が広島に越してくるまで京都で一番仲良しだった子に似ていたからだと話す。
京都のどこかと聞くと、女の子は地名を出す。弘は自分の住んでいた町名だったので、驚く。学校は、と聞くと、自分の通っていた小学校名うを答え、さらに4年2組と答える。弘は驚く。自分も4年2組だったからだ。
女の子がうそをついてると思い、とっさに弘は「うそ!」と言ってしまう。女の子はぷいとふくれて、降りてしまう。

そのエピソードの出し方に無理がなく、引き込まれてしまう。
同じクラスで同じ学校名(正確には、女の子は学校名のあとに「国民学校」と続けたのだが、弘にはそれはわからなかった)を語られると、絶対うそだと弘は叫んでしまう。子どもには、それは大きな違和感である。

そして、話は思わぬところに発展する。
弘は、京都でかつて同居していたおじいちゃんと話していて、ヒロデンには京都から移送したでチンチン電車もあるのだと伝える。するとおじいちゃんは、そこに魅力を覚え広島に訪ねてくることになった。
おじいちゃんは、広島への引っ越しを拒み、そのまま京都で暮らしているのだ。
チンチン電車に乗りながら、弘は話ついでに女の子のことを話す。

するとおじいちゃんが、意外な返事をする。
なんと、子どもの頃おじいちゃんは「チロちゃん」と呼ばれていたことがあったらしいのだ。
そして、ユリちゃんという女の子との触れ合いを話してくれる。
そのユリちゃんは夏休みに引っ越してしまい、手紙をくれるといったのにとうとう来ないままで今に至るという。
おじいちゃんも今まで忘れていたが、こうして電車に乗っていると思い出したのだと。

そこからの展開が、心をうつ。

おじいちゃんの人物造形がよいのだ。
おじいちゃんは、弘が戸惑うくらいにユリちゃんの存在(幽霊としての存在)を認める。むしろ、積極的に会いたいと思ってるようだ。
そして、もう一人の名脇役の「しあわせばあちゃん」にいたっては、ずっとユリちゃんの幽霊と話していたという。

しあわせばあちゃんは、原爆で幼い我が子と夫を一瞬のうちに亡くしてしまった。個人の悲しみを、必死に平和への思いに変えて一生懸命に生き抜いてきた人なのだ。


しあわせばあちゃんとおじいちゃんの背景は違うけれども、その姿勢にはそれぞれの悔いとせつない願いがあり、戦争への憎しみと平和への願いが一貫している。


私は、特に一見自由きままに思えるおじいちゃんを身近に感じ、面白かった。ユリちゃんから手紙が来ないことを、少年の子どもっぽい一途さ故に裏切られたと思い、それ以上確かめることもせずに50年たってしまった。
わかった事実に真摯に向き合い、おじいちゃんの中に少年の「チロちゃん」が見え隠れする。それが、とてもよい。また、孫の弘がそんなおじいちゃんをじっと見つめている。
こうして人は、情緒豊かに育つのかな、と思う。

これを書いた頃の長崎さんは、おじいちゃんの年齢に近かったと思うが、おじいちゃんを生きた瑞々しい人間として描いているのが、この本の魅力なのだ。
そのおじいちゃんが、当時のユリちゃんの境遇と気持ちをわかってやれなかった後悔が、しあわせばあちゃんとの出会いによってさらにつきつめられ、行動へと動かしていく。


山中冬児さんの絵もよい。
灯篭流しの時にユリちゃんがあらわれる絵には、涙があふれた。


人と人は、実際に話をしてつながっていくしかない…それなしには伝わっていかないな。
そうかみしめながら読んだ。