古い本を読み 新しい発見を

「草の根こぞう仙吉」(赤木由子/作 箕田源二郎/絵 ほるぷ出版 1981)。
図書室の棚を整理していたら、見つけた本。
赤木さんはいま生きておられたら80代半ばで、私の母よりはもう少し上の世代。終戦を18歳で迎えられたということは、戦争中にまさに成長してこられたのだなあ。
あとがきを読むと、新聞・雑誌記者をされていた頃に市井の人々に取材したなかで、ある運転手の生い立ちに強く心を奪われたことから創作につながったとされている。

親に売られた子どもが、幼いながらに必死にくらいついて生き抜いていく姿が赤木さんの心にしっかりと刻みこまれ、それが熟成され、数々の資料集めにも発展していったと書かれている。

読み終えて、つらい現実のなかでなんとか生きて行く少年の姿がなぜか暗くじめじめしないのは、赤木さんの最初のその感銘がずっとつらぬいているのではと思った。

この仙吉のたくましさは、どうだろう。
でも、もともとたくましかったわけではない。
邪険に扱われれば、威嚇することで自分を守るしかない。
厳しい時代背景で、子ども減らしをしないと生きて行けなかった貧困があったとしても、親に売られるとは何て悲しかったことだろう。

でももうひとつは、仙吉のもともと持っていた気質のようなもの。
エネルギーと、人の気持ちに反応する感性のやわらかさ。

おそらく、聞いた運転手さんの話の印象(事実)に、赤木さんの作家としての人物造形(創作)がぴったりと添っていったのだろう。

家の中では、唯一優しかった姉の支えにつつまれ、また奉公に出てからは温かい言葉や行為にはっと気づき開眼する仙吉の勢いのようなものに私も巻き込まれ、あっという間に読み終えてしまった。

こんな世界に触れると、なんだ小さいことでくよくよしてるなんてバカだなと、自分を笑い飛ばせるような気分になる。

大きく生きたいな。
日本人って、なかなかのもんじゃないか。

そんな元気の出る本だった。

多分、同じ事実をもとに書いた文学はたくさんあり、例えば「路傍の石」なども似ているけれど、またちょっと違う。
路傍の石」が町の少年の一代記だとしたら、この「草の根こぞう仙吉」は東北地方の村の少年の一代記で、それだけでもずいぶん違ってくるのである。


赤木さんの本を、その後何冊か読んでしまった。
やっぱりと思ったけれど、図書館では赤木由子はほとんど閉架図書だった。

こんなことでいいのか、公共図書館