ほっといて  ほっとかないで

気持ちが消耗することが2つあった。

ひとつは、ちょっと上等なボールぺンをバーゲンで買って調子よく使っていた。
いまどきペンなんか百均でも売ってるし、何かのおまけについてきたりするし、わざわざ買おうという人は、もう少ないだろう。
でも、使い始めると、そのボールペンはやはり手の馴染みもよく、書き心地もよい。
大事に使いたいなあと思った。

そして、インクがなくなり文具店に交換をしてもらいに行った。

すると、そのボールペンを買った店なのにメーカーの補充インクが置いていない。百貨店ならあると思うのですが…と返答された。

その後、いくつかの店で尋ねたが、いままだ補充インクは見つからない。

メーカーに問い合わせたら、最寄りのところがわかるんだろうけれど…。

売っておいて、補充を店に置いていないって、どういうことだろう。
長く使えます、と宣伝しておいて、長く使うのになんと大変な労力がいるのだろう。
結局、使い捨てをすすめているいまの社会なのだ。



もうひとつは、電車の切符のこと。
乗っているうちにうたた寝してしまい、改札口に上がってきた時には切符がなかった。
多分、そそくさと降りるときに座席のどこかに切符を落としてしまったのだろう。
私は恥ずかしいことに、よくやってしまう。

駅の職員の人に事情を言った。
すると、切符がない場合は代金をいただきますと返答された。
すごくそっけなかった。

私が悪いのはわかっている。

でも、その駅を私は週2回は利用している。
もう、3年間はそうだ。
そんな大都市の駅ではない。
私ひとりが改札を通ることだって多い。

でも、なくしたら、ずっと利用している人も初めて利用する人も同じなんだ。
顔なんか見てないんだな。

私が悪いのは、重々承知なのだが、お金を返金してほしかったのはでなく、その通り一遍の対応に傷ついている自分がいた。




「なくな、はらちゃん」のなかのテーマソング、「世界中の…」は自分の世界にはいらないで、そっとしておいて、という歌だ。

わたしのことは、ほっといて。
たたかう意思はない。

でも、「つながる」とか「わかりあう」とか「愛」とか一切でてこないのに、ほんとはつながれたらいいよね、という思いがあふれる。

人は、それぞれちがうでしょ…

そう思ってるからこそ、ちゃんと向き合えるんだね。


それは、歌う人が(ドラマを作っている作者が、テーマを理解している役者が、作り手のスタッフが)そう思って歌っているからだ。


言葉は言葉だけでは、ない。