自分を耕すことと 人とかかわること

「わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か」(平田オリザ/著 講談社現代新書)。
この本は、コミュニケーション能力とは何かについていろんな角度から書かれているのだが、読みながら思ったことは、
「結局、自立した自己の確立からしか始まらないのでは。」
ということだった。


平田オリザが繰り返し書いてるように、「わかりあえないから、少しでもわかりあえた時の嬉しさ」や「案外その程度」と思えることの大事さをつきつめると、自分がしっかり立っていることに行き着く。

まあ、そこからはぐるぐる初めに戻っていくので同じことなのだが、そういった自己を確立するには、やはりみなどこかで他人と触れ合いながら生きていることの気づきなしには到達しないのだ。

子どもたちは「しゃべれない」のではなく、「しゃべらない」のではないか。
まだ、「しゃべりたくない」のだということに多くの大人が気づいていないのでは?…という指摘はなるほどと思った。
「しゃべれない」のなら能力の低下だが、「しゃべらない」のは意欲の低下なのだ、と平田さんは言う。

「異なる価値観と出くわした時に、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと。」
そうした能力を、「対話の基礎体力」という言葉で表現していたのが印象に残った。
「対話の技術は大学や大学院でも身につきますから、(小中学校の先生方には)どうか子どもたちには、この『対話の基礎体力』をつけてあげてください。」という平田さんの主張に共感する人は多いだろう。

それは、本の世界もまったくそうなのだ。
いろんな本を楽しもうとする意欲は、「基礎体力」がないとわいてこないもんなあ。
私も、本の世界をより近づけるために、読み聞かせをしながら時に情景を補足したり、子どもたちが実感を持つように語りかけたりする。
淡々と読んでいては、「基礎体力」のない子どもたちには届かないことがある。
ただ、どこでひっぱり、どこで元にもどすかは、多くの経験から自分で培うしかないのだ。

そして、その感覚を後押ししてくれるのは、自分のなかで今までのたくさんの演劇鑑賞体験と、NPOでやってきた子どもたちとの劇づくりがあったからだと最近思うようになった。
そういう意味で、平田さんが学校教育のなかに演劇ワークショップを取り入れるべきと提唱するのは賛同する。
私も、大変有効な手段だと思う。

さて、この本を読んだあとで同じく平田さんの「幕が上がる」(講談社)という小説を読むと、さらに深く味わえる。
いままで述べてきた平田さんの考えが、読みやすい青春小説に昇華しているところがすごい。
これは、ある高校の演劇部が「学生演劇の女王」だったという新任教師の先生を顧問に迎え、高校演劇の全国大会めざしてかけぬけていくお話。

演劇の魅力がいっぱいつまっている小説だ。
そして、演劇とは人と人とがかかわりあわないと成立しないものだってことが、繰り返し語られている。

このお話のなかに出てくる劇「銀河鉄道の夜」は、平田さんの演出で実際に上演されている。
私は、幸運にも11月に観に行った。
その時に誘ってくれた友だちが「幕が上がる」を、私が「わかりあえあいことから」をそれぞれ買ったのだった。

友だちとも言っていたのだが、「幕が上がる」を読むともう一度「銀河鉄道の夜」の舞台が観たくなる。

2冊の本だけでなくお芝居も観たことで、私にとっていま平田オリザさんは結構近しい人になり、また、子どもと表現をめぐるいろんなことを考えるきっかけを与えてもらっている。