相手をただ想うこと

12月になると、街のあらゆる場所でポインセチアを見る。
もみの木よりは家のなかにも置きやすいし、いま頃は小さなスーパーにだって売っている。


これは、メキシコのおはなし。
ポインセチアはまほうの花」(ジョアンヌ・オッペンハイム/文 ファビアン・ネグリン/絵 光村教育図書)。

お父さんが失業してしまい経済的に厳しくなった一家が、クリスマスに教会で贈り物をすることが出来ない。
ここを読むだけでも、雰囲気だけを楽しむ日本のクリスマスと全然違うことに気づく。
ファニータの悲しい気持ちが伝わってくる。
そんな、彼女のほんとの心を、神様はみてとったのだった。


緑の葉っぱが赤く色づき、あの赤いポインセチアになる場面がすごくいい。
ポインセチアって、こんなにきれいだったんだと思う。

クリスマスを思う信仰深い人々に触れ、素直に入っていける物語。
前の学校の子どもたちに読んだが、最初は「この子の顔、こわい。」とつぶやく子もいたが、次第に作品の世界に入っていったのを思い出す。
図書の感想を書いてもらった時に、数多くの読み聞かせの本のなかから、この絵本を取り上げて、赤いポインセチアを丁寧に色鉛筆で描いてくれた5年の女の子がいたっけ。


「トナカイはなぜサンタのそりをひく?」(モー・ブライス/文 アツコ・モロズミ/絵 岩波書店

むかしむかし、サンタはそりもひかずプレゼントの袋を自分でかついで、走ってたっていうんだから、この導入に子どもたちは「え〜、大変や!」「みんなのとこに配れへん。」と、すっとおはなしに入り込む。

友達の妖精が疲労するサンタを心配して、大きな魔法のそりを作ってくれる。空を飛ぶそりを。
そして、ひいてくれる動物たちを求める広告を森に出す。
その場面が面白い。
ぞう、きりん、ライオン、シマウマ、カメ、サル…。
トナカイは、そこにはいない。
「さあ、トナカイ以外だったら、だれがぴったりだと思う?」と、いつも私は子どもらに聞く。
もう、みんな蜂の巣をつついたように、あれだこれだと言ってくれる。
楽しい時間だ。
ところが、なかなかうまくいかないんだよね。
このエピソードが面白い。
大型版の絵本で、読み終わるとなるほどね…と妙に満足感があり、当たり前に思ってた「トナカイがそりをひく」のが、いかにもすてきに思えてくるから不思議だ。


私の好きな竹下文子のシリーズ「おてつだいねこ」は、お母さんが「猫の手も借りたいわ」と言ったら、ほんとに「わたし、手伝います」とあらわれたねこさんのおはなし。
やる気は満々なんだけど、どうもうまくいかないねこさん。
でも、家族の一員となり、絆も深まったクリスマスのことを描いた「おてつだいねこのクリスマス」(竹下文子/文 鈴木まもる/絵 金の星社)は、とても温かいものにつつまれる物語だ。
これは絵本ではなく幼年童話になるが、絵がうまいバランスで入っているので読み聞かせにも充分いける。

お母さんの友だちに頼まれて、洋菓子店でクリスマスケーキ販売の協力にかりだされたねこさん。
サンタの格好をして、最初は「おいしいケーキです。1個50円です」とかなんとか言ってしまい、人だかりはするけど「こんなウソはついちゃだめ!」と怒られる。
それでも、一生懸命考え、大奮闘するねこさん。

さて、家で待ってる家族(言うまでもなく、こちらは人間です)は…。
テーブルには、クリスマスの夕食がある。子どもたちは、遅いねこさんが待ちきれなくて「先に食べようよ」と催促する。

そこで、お母さんが怒るのがいいんだなあ。

ケーキを頑張って売っているねこさんが仕事を全うして帰ってくるまで、私たちは待ってるんだと。
「それが家族でしょ」という気持ちに何のぶれもない、お母さんの心根にちょっとじーんとする。

考えてみたら当たり前のことなのに、食卓を一緒に囲むことが出来なくなっている家族が圧倒的に多いのではないだろうか。

それだけ、私たちは忙しく、こまぎれにいろんな用事を入れている。
大人だけでなく、子どもも。
そういう社会に大人がしてしまっている。

そんなことを痛感させられ、お母さんの剣幕にはっと胸をつかれる。

クリスマスでも、お仕事だという人も多いだろう。

そんなお父さん、お母さんへのあたたかいまなざしの物語にも思える。

中学年の子どもたちは、おてつだいねこのシリーズが大好きだ。
鈴木さん描く可愛いねこさんの魅力によるところも大きいけれど、この物語に潜む「見返りを求めず、相手を想う気持ち」のあたたかさに、知らず知らずのうちにひかれてるのではないか、と思うことがある。
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