いままでの本 あたらしい本

もうそろそろいいかな、と思い「リンゴちゃんとのろいさん」(角野栄子/作 長崎訓子/絵 ポプラ社)を1年生に読んでみた。

前の学校で、ものすごく人気だったリンゴちゃん。
しおりの柄もリンゴちゃんのがいいと言われたし、貸し出しはいつも取り合いで、何よりも自分ではなかなか物語に手をのばさないやんちゃ坊主たちが大好きになってくれた本。
「リンゴ、お前が悪いんじゃ!」
「わがまますぎるわ!」
と、口汚くリンゴちゃんをののしりながらも、どこかもっとわがままになってくれと期待していたあの子たち。


いまの学校に来て、半年。
地域も違えば、子どもの感じも違うので、本の選書も少しずつ変えるようになった。
リンゴちゃんの一挙一動をくいいるように聞いていた前の学校の子どもたちの姿がよみがえってくるので、この本については読もうかどうしようか、ちょっと躊躇していた。
本が悪いのでなく、私のなかで本とかつての子どもたちとの結びつきが強いために、あの反応を求めてしまうとよくないと思ったのだ。

でも、定例の読み聞かせの時間にも慣れてきて、長いお話も聞けるようになってきた1年生のこの時期。
やっぱり、リンゴちゃんかな…。


そう思うようになった。


そして、前置きもなく(前の学校でとても人気があったのよ、なんてことも言わず)さらっと始めてみた。
すると、子どもたちのなかの空気がピーンとはった。
聞いてる、聞いてる。

次、どうなるか固唾をのんで見守っている。

もちろん、前のあの子たちのあけすけな反応とはまた違うけれど、確かにのめり込んでお話をしっかり受け止めているのだった。


私は、この3部作ではいつも最後の、この「のろいさん」から読む。
そして、「りんごちゃん、きましたよ〜」とのろいさん登場のところで、止める。
「続きは、来週ね」って。


子どもたちは、「え〜っ!」と絶句した。
で、その後ぐっと飲み込んで我慢していた。もっと駄々をこねればいいのに…と思うほど聞きわけがよく、私はいじわるな先生になってしまった気がした。


そして、1週間後。


子どもたちが図書室にやってきた。
みんな、にこにこ。
前に立ってる私の本を見て、「リンゴちゃんや」「つづきや」とつぶやいている。

わざと「リンゴちゃん、どこまで読んだ?覚えてるか?」と聞くと、
「のろいさん、きたとこやで!」
「とんとんとん、ってしたで!」
みんな我先に答えてくれたのだ。

ああ、先週途中で止めて良かったな。
いまのこの子どもたちのなかに、リンゴちゃんのお話がちゃんと息づいている、と感じられた。

私自身も、目の前の子どもたちと近づいたようで、とてもうれしかった。



いまの学校で初めて読んで、ぴったりきた本も出来た。

それは「クッキーのおうさま」(竹下文子/作 いちかわなつこ/絵 あかね書房)。
図書館で本を探していて、「折り紙のベッド」「ティッシュのカーテン」「パセリの木」そうしたモチーフに、絶対これはいいわと確信して、読んでみた。

このなかに、クッキーのおうさまがうたう歌が出てくる。

 わたしは クッキーの おうさまだ
 おしろに すんでる おうさまだ

 バターと たまごと こむぎこと
 さとうも たっぷり はいってるぞ  ホッ

(いま、本が手元にないので、うたの詩が前後してるかもしれないが)


例によって、気まぐれ作曲家にうたの神さまが降りてきたのだった…。
クッキーのおうさまがうたう歌をふしをつけてうたうと、子どもたちの口もともむずむずしていた。

これを読んだのは、2年生と3年生。
特に、なぜか3年生が激しく反応した。

家の調度品のアイテムが、やはり子どもを刺激するようで「ティッシュのカーテン?」とびっくりしながら、横から見たらペラペラのクッキーのおうさまがうろうろするのが面白くてたまらない。
うたも、すっかり覚えてしまい、またたくまに竹下さんの物語の世界に魅了されてしまった。


先日、図書館から借りていたこの本をようやく学校で購入することが出来て、ずっと待っていた女の子に貸し出しすることが出来た。
その子に「お待ちどうさん。うたのところは、歌いながら読んでよ。」と言いながら本を渡すと、「わったっしは クッキーの…」とうたいながら、図書室を出て行った。

そして、階段から、渡り廊下から、むこうの校舎から、だんだん小さくなるうたごえがずっと聞こえていた。
ちゃんと「ホッ!」も聞こえていた。

この女の子は最初の読み聞かせの時、ものさしやセロテープなどの家来たちがおうさまのうたが覚えられず「ホッ」のとこだけだった、というのを聞いて「そんなん、覚えられへんの?」と言って、「私は覚えたよ」と一緒にうたってくれたのだ。
もちろんお話の楽しさ、ディテールの確かさがあってのことだけれど、拙いメロディーもこの子のお話の世界に入り込むきっかけになったのかもしれない。

ときどききまぐれ作曲家で司書である私は、こんな時にかけがえのない
しあわせを感じるのだった。

いままでの本、新しい本。
いろいろと交差しながら、もう秋がやってきた。