大人になんかいわない

男の子がボール投げをしていて、ふじまるさんちにボールが入ってしまった。
その家の犬ゴローが走ってきて、ボールを飲んでしまった。

おねえさんは、それが気になってたまらない。
ゴローが死んじゃう。
ふじまるさんちのおじいちゃんに何度も言いに行くのだが、おじいさんは「ゴローはそんなばか犬じゃない」と取り合わない。

普段から、すぐ涙が出てしまうおねえさん。
妹のわたしは「なみだー、ひっこんでろー。」とおねえさんに言うのだが。


こんな話で始まる「なみだ ひっこんでろ」(岩瀬成子/作 上路ナオ子/絵 岩崎書店)。
ほんとに、飲んじゃったのかな…ゴロー。
そんな怖さから思わず立ち読みしてしまい、そそまま買って家で最後まで読んだ。

他人からすると「そんなこと」とか「考えすぎ」なことってある。
でも、本人は体が震えるほどの大問題で、これが解決しなきゃ明日が迎えられない。

子どもは特に、体と心が直結しているから、すぐに行動に出てくる。

この本には、親や学校の先生は一切出てこない。
おじいさんは、おねえさんに「ボール事件」の結末に関するはっきりした言葉かけもしない。
でも、おじいさんの感情は伝わってくる。
そして、妹のわたしは、おねえさんを心配して一生懸命寄り添っている。


ああ、心配でたまらないこと、あったなあ。
こんな時は、どうやって心におさめてたんだろう。

親に言ったかなあ。
(いや、言ってもぴったりする返事もらったこと、あんまりなかったなあ。)
先生に言ったかなあ。
(いや、言わなかった。)

でも、悩んでることって、実は大人に言わないよね。
大人に言う事と、心にしまっておくことはちゃんと分けている。
そうやって、自分の心とつきあって大きくなってくんだよね。

そして大人は、きっとチラッチラッと一瞬重なっているだけなんだろう。


大人は、じっとかかわっていると思ってても。


岩瀬成子は昔々の「朝はだんだんみえてくる」は大好きだったけど、ぴたっとくるものは長らくなかった。
でも、この話はいいな。

散文詩のようなところがこの人の作品にはあり、繊細な心の動きが描かれているのが魅力なのだが、ともすれば描き過ぎのところもあった。
幼年童話の規制がかえって余韻を残し、この方がむしろ岩瀬さんの世界をまっすぐに伝えているのではないか。
もっと、この路線でいってほしいなあ。

上路さんの絵も、とてもよく合っている。