夏休み その3

夏休みといえば、読書。
私のような者は年がら年じゅう本を読んでいるのだけれど、そうはいってもやはり仕事欲があっての読書が多い。

「今度高学年に紹介するのに、読んでみよう」とか、
「これは、秋からのブックトークにいいかも」とか。

でも、目的意識的すぎる読書はよくない。本来読書とはやっぱり楽しみのためにある。自分が純粋に読みたくなる読書は大事にしたい。

それが、夏休みの読書というわけ。


そうして読んだ本たち。

上を向いて歩こう!」(のぶみ/作・絵 講談社

この人は、絵本を描いていて本屋でもよく見かけるのだが、私の好みではなく手にとらなかった。
これは、東日本大震災のボランティア活動記だ。
のぶみさんは、高橋歩さんという活動家の友人から誘われ、震災後2週間目に宮城県石巻市に向かう。

30代半ばののぶみさんの、現地を見て驚愕したこと、感じたこと、いろんな人との触れ合いがマンガ形式で描かれている。

写真でないために、またマンガという形態からか、時に笑いも加えリアルに現地の様子が伝わってくる。
そして、のぶみさんの動揺や感情の高まりが率直に出ているし、誠実な人柄も感じられた。「偽善行為じゃないか」と悩む前に、ます動いていこう。意義や意味づけはいらない。自分がボランティアさせていただくのだ。
そんな気持ちがすっと伝わってくる1冊だった。

そのあと、この人の「にんげんごみばこ」(えほんの社)を読んだ。これは絵本。
いらない人は、ごみばこにすてちゃおう。
いらない人をごみ袋に入れて捨てに行く子どもたち。
ごみ捨て場には、黒い帽子をかぶった男の人がいて「ほんとにいいの?」と尋ねる。

絵本の完成度としては、まだまだな印象を持つ。
でも、この男の人の存在がなんだか心に残る、何かがくる本なのだった。
新幹線が主人公の絵本ののぶみさんは、残念ながら私には接点が持てずにいる。でも、この絵本には、先の「上を向いて…」の世界と通じるものがあった。



「けがづの子 生命をつづる津軽の詩」(鈴木喜代春/作 山口晴温/絵 国土社)。

370ページの大作だ。
農作物の冷害をむかしの東北地方では「けがづ」と言ったのだそうだ。戦前から戦争へ、そして終戦の時代を通して、青森で綴方教師として46名の子どもたちとがっぷり組んで生きた上村先生の物語である。

上村先生は創作した人物なのだが、きっとモデルになった人はいるのだろう。作中に出てくる「北方教育」「綴方教育」にかかわった教師は実名で出てくるし、最後の一覧では膨大な資料が明記されている。ものすごい労力だということは、それだけでも伝わってくる。
作者の鈴木さん自身も青森出身で、この上村先生のように綴方を通して子どもの育ちを見つめる教師だったようだ。

とにかく子どもたちの姿がたっぷりと描かれ、私はそれだけでも充分に面白かった。
生活の厳しさに覇気もなくなり下を向いて生きる子どもたちに、上村先生は悩みながらも子どものところまで下りていき、家を訪問し、何よりも勉強することの楽しさを味あわせたいと願う。

そして、東北の農業の厳しさや戦争に突入していく閉塞感、治安維持法の恐ろしさにいろんなことを考えさせられた。

作中に「小さなねじ」という文を、みんなで読み合う場面がある。(尋常小学校の国語読本に実際に掲載されていたもののようだ)
その文章が、とても心ひかれるものだった。
そして、その文に子どもたちが見せる関心がまたよいのだが、「おらも小さなねじになる」と言った男の子のエピソードが心に残る。

誰もが親しみやすい作品とはいえないかもしれないが、子どもとかかわる立場にいる人は、普遍的に共感するものがあると私は思う。



「見てるよ!ヒトミ」(槻野けい/作 倉石琢也/絵 汐文社)。

広島の原爆を描いた戦争文学。

サトちゃんとお兄ちゃんは、お父さんに兄弟がいたなんて知らなかった。
一人っ子だと思っていたのに、おばあちゃんから聞かされたのだ、
「ほんとは、サトちゃんみたいなかわいい女の子がいたんだよ。」

ヒトミ、という女の子で、お父さんのお姉ちゃんだったそうだ。

サトちゃんたちは、おばあちゃんにヒトミのことを話してもらおうと、広島に泊まりに行くことになる。

話の展開に無理がなく、読ませる。

私はおおえひでさんの「八月がくるたびに」が好きなのだが、この本もとてもよかった。
平和の活動をすることで、自分の過去と向き合っていくアキコさんの生き方も丁寧に描かれているので、共感出来る。
事実の大きさ・重さを受け止め、また未来につながっていく先も感じられるのが、子どもにもすすめられると思う。
(ほら、読んだ後は結局、仕事から離れられないのよ…!)

でも、この本は1985発行。
この先が、もっといろんな作家によって書かれてないといけないな…。


特に最後の2冊は、原爆投下の日や戦争記念日のある夏に読むにふさわしい内容だった。