いまだから、読書

前の学校のサイクルとは違い、図書の時間がびっちりではないので、いま私の出来ることは本を読んでおく時期にしようと思った。

まあ、いまにいっぱいになるのだろうけど。
この何年かとは違う、春。

ならば、いまは高学年に聞かれたときに心からすすめてあげられる本のストックがほしい。

ということで。
最近読んで、面白かった何冊かを紹介。


「かなと花ちゃん」(富安陽子/作 平澤朋子/絵 アリス館)。
富安陽子は、いま全国の本好きな小学生のなかで、最も読まれてる作家ベスト3に入るのでは?
よくこんなに書けるなァと思うほど多作で、あれよあれよという間に、また面白いお話が出来あがる富安さん。

シノダシリーズも、やまんばあさんも、菜の子先生も、ムジナ探偵局も、子どもたちは大好きだ。

そのほとんどは、コメディタッチで軽快に進むのだが、この「かなと花ちゃん」は静かに進行する。
無理におかしくしない。
でも、やっぱり富安さんらしいというか。


お人形には、誰でも「お母さん」(持ち主)がいる。
お母さんに名前をつけてもらうのだ。

草むらに忘れられたお人形の花代を見つけたのは、かなという女の子だった。
1週間置いてけぼりにされたと聞いてかなは、「そんなのお母さんじゃない!」と怒る。
お人形のお母さんは1人しかなれないけれど、お姉ちゃんにならなれるでしょ、とかなに言われて…「あたし、かなちゃんの妹になりたい。」と花代は答える。

人間と人形、ふたりの女の子の対等感がとてもいい。
ちゃんと、思春期の女の子の一生懸命に悩み、行動する物語になっている。
そして、平澤さんの絵も、すごくぴったりだ。

どのページの花代も、いまにもしゃべりだしそうだ。
私は、お人形の話が好きなので二倍楽しんだけど、苦手な人でもこれはちゃんとした人間ドラマなので甘さはなし。大丈夫だと思うよ。



「徳田さんちはおばけの一家」(ねじめ正一/作 武田美穂/絵 講談社)。
表紙はおばけ一家が…。
でも、実はこれほんとの家族じゃないのだ。
それぞれの事情で死んで幽霊になってしまった4人が、たまたま寄り添って「家族」風に装ってるというわけ。
この一家は、おばけ屋敷で働いているんだ。もちろん、おばけ役で…。
おばけ屋敷を経営している社長に見いだされ(霊感があり、おばけが見える珍しい人物)スカウトされたのだった。

しかし、このおばけ屋敷は経営難で、経営買い取先がついて、なんとわんにゃんパークになりそうなのだ。
次の経営者には、どうもダークな匂いが…。
さあ、どうなるのだろうか。


お話は、子どもが入りやすい設定になっているし、ねじめさんの文章も読みやすい。
でも、少し独自だなって思ったのは、差し込まれるダークサイドストーリーだ。とても現代的なエピソードを織り込み(ほんとにダークなのだ!)、これがどういう風にメインストーリーとからんでいくのだろうと、読ませる。

ねじめさんは、現実にあった悲しい事件からヒントを得て、この物語の骨格を作ったという。
先日、6年生のオリエンテーションの時に、この本を紹介したら何冊かのなかでこれがダントツ予約何人にもなっていた。
読んだ後で、子どもたちと語り合えるかなと思える作品だ。



そして、「月の少年」(沢木耕太郎/作 朝野隆広/絵 講談社)。
これは、新聞で紹介されていたのを見て本屋で買い求めた。
沢木耕太郎が書く児童書って、どんなのかな…と思って読みたくなったからだ。
東北大震災のあとで書かれたお話。
両親が海に沈んだままかえってこなくなり、冬馬は彫刻家の祖父の家に引き取られる。
祖父は、湖のほとりで暮らしている。


    「湖はほんものの海とちがって波がありません。
     風が吹くと小さなさざ波が立ちますが、それだけです。
     そのことが冬馬をちょっとだけ安心させてくれます。」


物語には、津波という言葉は一切出てこない。
なぜ両親が海にのまれたかも説明されない。


でも、いまはほとんどの人が、あの大きすぎる出来事を思い浮かべ読むだろう。静かに静かにお話はすすんでいく。冬馬の内に秘めた悲しみに添って、心象風景の奥深くに入っていく。

じっと黙って見守る祖父の存在がいい。
そして、彫刻を通して心を再生させていくのが、芸術の力を感じさせて、とても共感した。

「無名」というお父さんを描いた沢木さんの本がとても好きなのだが、この「月の少年」は、つながるものを感じた。