おぼえるが、かんじん

ねこのごんごん」(大道あや/作・絵 福音館書店)を古本で手に入れた。
ひとりでゆっくり声に出して読んでみた。

いいなあ。


名前のなかった野良のちび猫に、家猫のちょんは「ごんごん」と名付けてやる。
ちょんが、いいんだなあ。
甘やかすでなく、かといってほっとくでもなく、ちゃんと動物らしくシビアに存在しながらごんごんを見守っている。

くりかえしちょんが言う、
「なにごともじぶんでおぼえるがかんじん、わかったか。」
この言葉。

私の心にも、沁みてくる。

絵もいいなあ。

最初と最後では、ごんごんが全然違う。
最後は、立派な大人の若い猫だ。


ここには、もうひとり、犬の「のん」が出てくる。

のんは、ちょんがいる時はあまり目立っていない。

でも、ちょんがいなくなってからは、下に思っているごんごんにあれこれ指図しだす。

のんは、ちょんの口癖だった「なにごともじぶんでおぼえるがかんじん」を真似して言う。

でも、ごんごんは、口だけで何も動こうとしない、のんをしっかり見抜いている。

ちょんという、立派な人格に触れて、何が本当か見極める力が育ったのだ。


ちょんは、生きぬいていく力を、ごんごんの内にちゃんとともしていったのだ。
自分で考えさせることで。


若いものに引き継ぐとは、どういうことか。
自分で覚える時に起こる、さまざまなマイナスの現象で良しあしを決めず、もっと先を見る。

いまの教育に最も必要で、最も危うくなっているものが、「ねこのごんごん」のなかにあるように感じた。