お久しぶりです

1ヶ月以上更新していなかった。
気がつけば、もう新学期。
やっと、ブログに向かう自分になれそう。
なれるかな?


異動がわかり、それが予想外だったものだから、そこから引き継ぎの準備やなんやらで…。
私情は置いといて、あとは猛然と年度末に向けて頑張ってきた。

そして、娘の卒業式、一人暮らしに向けての引越し、社会人としてのスタート。

その上、かかわっているこどもNPOのまつりの準備が押し寄せて…。
(それは無事終わり、大成功だったのはよかった!)

まあ、てんこ盛りの早春でした。


今日は、着任式と始業式だった。
今度の学校は、前より50人ほど少ないこじんまりした、でも歴史あるところで、校歌がそれをあらわしていた。
さて、私、どうなりますやろ。
ぼちぼちと思っているのだけれど、身体は正直でやっぱりぐったりしている。


娘は車で1時間半ほどのところなので(一応、同じ府内)週末には帰ってくる。夫婦2人の生活も始まった。

なんだか初めてづくしで先が全然読めないのだけれど、こんな近況です。



異動を告げられ、放心したまま図書室に行き、その時届いたばかりの新着本をぱらぱらめくっていたら、いまの私の気持ちそのままだと思えた詩にめぐりあった。

それは、星野冨弘さんの詩だった。

星野さんって、こんな気持ち言葉に出来る人なんだな。

星野さんがこの詩を、どんな状況のなかで作ったのかはわからない。少なくとも、いまの私の状況とは違うだろう。
でも、違ったって、感情という世界ではまったくシンクロしている。
それが、普遍というものなのだ。
深いところで、言葉をすくっているからなのだ。

星野さんの魅力を再発見したし、私にとって忘れられない詩になった。


だって、読みながらちょっと泣いちゃったんだもん。
そうそう、って。

決して条件的にはよい学校ではなかった。
厳しい家庭環境の子もいた。
「憎らしいあの人」…やんちゃなあの子も、あの子も、あの子も思い浮かぶ。
「見飽きた風景」…図書室でのいろんな姿。寝そべったり、お気に入りの場所に本持ってったり。もう当たり前だった姿。

涙をこぼしながら、詩になぐさめられた。
自分が包まれているのを感じた。
ああ、前向かないとと思ったのだった。


           明日

      
      憎らしいあの人も
      見飽きた風景も
      もしも今日で
      終わりだとしたら
      たまらなく愛しい
      だけど 今日で終わりなんて
      想うだけでも淋しい
      憎らしい人がいていい
      退屈な毎日でもいい
      明日が来てほしい

         
          (「星野冨弘全詩集Ⅱ」学研 より)   


また、ちょっとずつなじんで、新しい子どもたちと触れ合って、書きたいことが生まれればいいな。