胸が痛く でもあたたかく

保育所の送り迎えって、悲喜こもごもという言葉がぴったりだ。

朝、支度を急がせ小さいジャンパーを着せ、自転車に乗せ、保育所までまっしぐら。月曜はおふとんまでかついで…。

多くのお母さんがつい連呼してしまう「はやくしなさい」を、例にもれず私も毎日言っていた。

微熱があっても見ないふりして保育所に預け、職場に電話がかかってきて初めて知ったように、「そうなんですか」と驚いたふりをしたこともあった。

帰りは帰りで、息せききって保育所に走り込む。
一番最後で、門近くに主任の先生と娘がぽつんといて、待ってたこともあったな。

ああ、もう20年近くも前のことなのに、思い出すと胸が痛む。

「マキちゃんのえにっき」(いせひでこ/作 平凡社)を読んでいたら、そんなあれこれが次々と思い出され、ふと涙が出そうになった。

でも、この本は母の思い出回想記ではない。
幼児のマキちゃんから見た父や母の姿。お姉ちゃんのマエちゃんの姿。保育所の道すがらの情景が描かれている本なのだ。つまり、主体はマキちゃんなのである。


あとがきにあるように、いせさんは「小さかったマキちゃんのために、おかあさんは、見たことと、見てないふりをしたことを、つなぎあわせて絵日記をかきました。」と書いている。


母が「見ないふりをしてたこと」をじっと見つめるマキちゃんのまっすぐな目に、私はきっと心が震えるんだろうな。


さびしいときに優しくされるのが苦手なマキちゃん。
「さびしさがかたまりになるようで」イヤなのだ。



4歳になった朝、昨日と違う自分がいることに心高鳴るマキちゃん。
お姉ちゃんのマエちゃんが5さいのままで、自分が6さいになった時のことを考えて、天にも昇る心地になる。



新しい保育園の園長先生とだんだん仲良くなるエピソードもすてきだ。

「先生は、ヒョッと口ぶえをふいて、それからマキちゃんの頭をクシャクシャと、なでてくれます。なにもしゃべらなくても、そのときそのときの、マキちゃんの気もちをわかってくれるのです。」


そして、この本を読みながら、いせひでこさんはいろいろ苦しみながらも、やはり芸術家としての自分の感性を曲げることなく、ちゃんと娘たちに伝えたのだと思った。
きっと、ちょっと偏屈にに見えることもあったかもしれない。
なんでも出来るお母さんじゃなかったかもしれない。
でも、自分の感性を卑下することなく、まっすぐに生きたから、マキちゃんは絵の上手なお母さん、「海は青よ」とは言わないお母さんが、大好きだったのだと思った。


そして、芸術家にはほど遠いのに、いろんなものに響き傷つく感性を持て余した私は、時に普通のお母さんになりたくてその場しのぎで常識を説いたり、ある時は自分の世界に没頭し上の空だったりと、娘を情緒不安にさせ、ほんとにフラフラしてたなあと思い返した。


少し胸が痛く、でもマキちゃんがいろいろ思ったように、娘も思っていたのかなと想像した。
そして、不完全な私のなかにもたまにはよい日々がありましたように。
どうかそれは、娘のなかにほんの少しでも残っていますように…と祈ったのだった。


なかに差し込まれている、小さなお話が、どれもすてきだ。
これだけ、とりあげて子どもたちに今度読んでやろうかな。