ロウバイの季節

1月下旬あたりから、ロウバイの咲き頃を知らせる新聞記事が載り始めている。「ロウバイ」という響きで、ふと高校時代の古典の先生の声がよみがえってきた。

「木の花は、こきもうすきも…」
清少納言の「枕草子」の一節で、ちょっと気取った声でいつも先生は朗読していた。
いわさきちひろのような顔をした小柄な先生で、潔癖でアツくていつも一生懸命なのを、反抗期まっただ中の私たち生徒は結構バカにしていた。

ある時は古典の授業なのに、「今日はこの絵本を読みます」と言って、「パパママ、バイバイ」(早乙女勝元)を読み、途中で先生が泣いてしまった。
これは1977年に神奈川県の民家に、基地の米軍機が墜落し一般市民の死者および重症者を生んだ事件を題材にしている。
絵本そのものは、私の胸にもぐっとくる内容だったのだが、先生が泣きだしてしまったとたんに、気持ちが冷めてしまった。
先生が一番感動して、一番アツくなって…いま思うと、かわいい人だなと素直に思うのだが、10代の私たちはそこに無理無理偽善を見つけ、批判したりしていた。
若いって、残酷だとほんとに思う。



ところで、思わず先生の口調を真似て「木の花は…」とうたってみたくなった私は、気取った声を出しながら、家族に高校の時の話をした。
朝の忙しい時だったので、家族はほとんど無反応で「ふ〜ん」「そうやったんや」(あまり身をいれて聞いてないのは、ありありと伝わる)。

ただ、夫が「ロウバイって後年かけあわせた品種じゃないの?枕草子の時代からあったっけ。」と言ったのが心に残り…調べてみたら。
あれあれ。
「木の花は、こきもうすきも こうばい」ではないか!
「蝋梅」じゃなくて、「紅梅」だったんだ。
ああ、恥ずかしい。
その後の、「桜は花びらおほきに 葉の色こきが…」まで覚えてるのに、いつのまにか記憶のなかで「ロウバイ」に変わっていた。

ただ後年かけあわせたのかどうかは、いまだに私はわかならいが。


でも、先生が気取った声で言ってくれたおかげで、間違って覚えていたおまけつきだとしても、私はいまの年になっても思い出すことが出来る。
これって、すごいことだな。
あの、罪もなく亡くなってしまった幼い子たちを思い、私たちが泣く前に大粒の涙をこぼしていた先生がいたから、「パパママ バイバイ」もいつまでも心に残っている。


人の心に残るものって、その時にははかれないものなのだと、あらためて思った。

そして、その人に悪意がなく一生懸命に子どもにかかわっていることは、多少それが戸惑ってもやり方がまずくても、行いの芯のようなものは、やっぱり子どもの心に残るのだろう。


いま子どもにかかわる仕事をしている私には、あらためて感慨深いことだった。


写真は、左がロウバイ。右が紅梅です。