ふたたび出会えて

もう何年も前、国語の単元の読み広げで命の大切さを描いた絵本を紹介してほしいと依頼され、探したなかで「かえるくんととりのうた」(セーラー出版)という絵本があった。
これはマックス・ベルジュイスが作者で、かえるくんのシリーズになっているのだが、当時は他のシリーズを読むところまでいかずこれだけを読んで、結局先生には紹介しなかった。
詳細は覚えてないが、かわりに選んだのが「ぶたばあちゃん」(マーガレット・ワイルド/作 ロン・ブルックス/絵 あすなろ書房)や「ベントリー・ビーバーのものがたり」(マージョリー・W・ファーマット/作 リリアン・ホーバン/絵 のら書店)だったのではないかな。


「かえるくんととりのうた」は、なぜか私の心のなかにネガティブな感情を残した。
とりくんの死骸を見つけたかえるくんは、森の動物たちに知らせる。
みんなは言葉少なに連れ立ち、森が開けたところに穴を掘りとりくんを埋める。そして、その後みんなは思いきり遊ぶ。
「生きるのって、すてきだね。」とかえるくんは言う。
耳をすませると、一羽の鳥が木の上でさえずっている。
……いつものように。


こんな内容だった。

とりくんは目をあけたまま死んでいる。赤い足が硬直しているように立っている。
シンプルな絵なのだが、私にはすごくリアルに思えた。
なのに、ものすごく淡々とした展開で、なぜ「生きてるのってすてきだね」とかえるくんが言うまでいたるのかが共感出来なかった。


そして月日が過ぎ、マックス・ベルジュイスのこのシリーズのなかの一冊「かえるくんはかえるくん」読む機会が訪れた。
かえるくんと森のなかまたちが、私のなかにすっとなじんで入ってきたのだ。
好奇心いっぱいで失敗もするが、みんなを巻き込みかかわらせる愛すべきかえるくん。お料理が得意で、ピンクの肌が自慢のぶたさん。こわがりで友達思いのあひるさん。冷静沈着で思慮深いのうさぎくん。
それぞれの人格が、色彩のあたたかい絵とともにしっかりと描かれていた。

それで、琴子さんのブログでベルジュイスに触れておられたのを思い出し(「すきまな時間」)、それを読んで、やっぱりシリーズを読もう。あの「とりくん」のももう一度読んでみよう…と思ったのだ。


シリーズでしっかりその世界を楽しんでから、何年かぶりに読みなおしてみた。
すでに、他のシリーズでとりくんは屋根の上や木の上、そして空をいつも飛んでいた。
みんな同じ姿だから、誰が死んじゃったとりくんなのかはわからないけれど(そして、他の動物たちはしゃべるのに、とりくんは物語のなかでは始終無言だ)、かえるくんたちの騒動をいつも見守っているのはよくわかった。

そしたら、淡々としたお話が、私のなかに沁み入ってきたのだ。
かえるくんはとりくんのことを最初は寝てるって思ってたけど、のうさぎくんに死んでるのだと教えてもらった。
そこからずっと「死」が自分におおいかぶさってきて、緊張してたんだな。

「おにごっこしよう!」
突然、かえるくんは叫ぶ。
動かなきゃ、自分がどうにかなってしまうように思ったのでは?
そして、「生きてるってすてきだね」に、なるのだ。

もうかえるくんについて知ってるから、他の友達がどんな人格なのか知ってるから、私のなかで、生の意味を実感したかえるくんがとても愛おしくなった。

それで思ったんだ。
この本は、シリーズで読んでこそ、よりしみじみ受け止められる本だってこと。
淡々としてるからこそ、いいんだってこと。


そして、学校ではよく「友情について描かれた本」「人権を考えられる本」なんていうように、テーマが先にきた本の依頼がされる。
悪いことではないけれど、そこが先行すると見えなくなってしまう本が出てくる。
急いで探す本じゃない。
いかに日ごろ、自分が読んで感じているか。
そこから、選書の難しさと大切さを、あらためてかみしめたのだった。私の仕事は、そこに尽きる。

この絵本は、よく読むと淡々としているが「死」についてきちんと描いてる。
当時の私に読みとる力がなかったのだ。
「かえるくんととりのうた」の内的世界がどうか客観的に批評することなく、当時の依頼テーマに即してるかどうかにひきつけ過ぎて(子どもに伝わるか、理解されるかなど)自分のなかで勝手に終わりにしてしまったのだと思う。


それにしても、再会出来てよかった。
いまなら、私はとりくんに心から祈れる。
そして、みんなのそっけなさに共感出来る。

またきれいな声でうたうとり。
あのとりではないけれど、命はつながってる。
でも、「あのとりくん」のことは、みんな絶対忘れない。
一緒に立ち会ったのだから。

絵本の題名は、「とりのうた」と、あるのだから。


きっかけを与えてくれた琴子さん、ありがとう。