聞き手も成長する

2年生に「王さまと九人のきょうだい」を読んでいて。

1年生の時にも読んだので、みんなこのお話はよく知っている。
「九人は顔もからだつきもそっくりだったのです。」というところで、よく見ると赤羽末吉の絵は、ほっぺの赤い「あつがりや」や反対に青い「さむがりや」は、すぐわかるように描かれている。

それぞれ不思議な力をもつ九人きょうだいが、王さまの無理難題に挑みやっつけるにいたる痛快な物語なのだが、子どもたちは次にどのきょうだいが出てくるか当てるのを、とても楽しむ。
なので、私もすぐ名前を言わず、「ため」をとって子どもたちの声を充分に聞いた後で次にいく。

たきぎを燃やして熱い熱い炎のなかに入れられてしまうのは誰か?

1年生は、「熱い」となると思わず「あつがりや!」と言ってしまうことが多い。
反対に雪景色の水の中に入れられてしまうのは「さむがりや!」と同様に言う。
もちろんなんなく理解している子もいるが、私の経験のなかでは結構惑わされる子も多い。

それでも1年たつと、ほとんどの子がちゃんと言うのだ。
熱さをつらく思わないのは「さむがりや」だから。寒さにこたえないのは「あつがりや」だから、とわかる。
思わず、「あんたら、かしこくなったねえ。1年間って、大きいねえ。」と言ってしまった。担任の先生は、にこにこ笑っておられた。

よく忘れてしまうのは「ながすね」と「みずくぐり」。
「ながすね」は、「ながあし」「あしなが」「のびあし」と、意味を一生懸命考えて言っている。「脛」という言い方を知らないのだ。
この時は、すねの場所を教えて「ここがのびるんやで。」と指さしている。
「みずくぐり」は、「かわもぐり」になってしまったり。

読み終わったら、最後に「このおはなしは本当にあったのかな?」と言った子がいた。
いつもは言わないのだけど、この時はふと話したくなって、
「昔の中国の王さまは、強くて自分の思い通りにするためにわがままを言う人が多く、みんなは口ごたえ出来なかったから困ってたんだと思うよ。だから、こんな最強の兄弟がいてやっつけてくれたらいいなァ〜と願う気持ちが、お話を生んだのもしれないね。」
こんなことを、しゃべった。
日々の暮らしのなかでの庶民の願いが、民話という形になって残っていく。おもしろさや笑いのなかに、苦しみや願いがこっそり入っているから、奥行きがあるのだと思うのだ。

同じ本を、何年間も読み続けるからこそ、年齢によってさまざまなつぶやきを聞かせてくれる。
そこに居合わせるのは、ほんとに幸せだと思っている。