お土産はだれに?

今日3年生に「おでんさむらい ひやしおでんのまき」(内田麟太郎/作
西村繁男/絵 くもん出版)を読んでいて。

さいごにひやしおでんを包んでもらい、かぶとむしのかぶへいに「だれのおでん?」と聞かれあわてて「ちゃみせのおみっちゃんのでは、ぜったいない。」と答えるひらた・おでん。
おみっちゃんが好きなのをここで暴露してしまうのだが、もってまわった言い方だから3年生にはなかなかわからない。

「意味わかった?おでん、誰にあげるのと思う?」
と聞くと、
「かぶへい?」
「ひらた・おでんが自分で食べるの?」
と、おみっちゃんが出てこない。

あまり説明するのは好きではないけれど、ここはわかっておいた方がいいので「ほら、好きな人を言うつもりなかったんやけど、つい言っちゃったってやつよ。」
「あ〜、そういうこと。」
やっと、みんな納得。


同じく今日読んだ5年生は、そこはすぐにやにやしてたので、やはり2学年の差は大きいなと思う。


「さあ、ひらた・おでんはおみっちゃんにお土産あげられるやろか。」
と聞くと、3年生のみんな…
「ようあげんのちゃう(あげることができない)?」
「かぶへいがいたら、あげられへんなあ。」

なるほどね。
かぶへいの前だと、よけいに気取っちゃうわけね。
この3年生なりの理屈が、とてもいいなあと思っちゃった。

おませさんやてきぱき屋がいなくて、お話の世界は大好きなんだけどゆったり楽しむ幼い学年のこの子たちらしい読みだった。

こうして本の世界を通して、子どもたちの感性が見え隠れする時が、とても好きだ。司書をしていて、幸せだなと思う瞬間だ。