桜と「ねたろう」
いま出勤途中に、いたるところ桜!
思わず自転車を止めて、ぼうっと見上げることもある。
でも、色と枝ぶりが出色なのは…実は、いまの学校の中庭の桜なのだ。
図書室から見える、すばらしい自然の贈り物。
今日は、花吹雪が舞っていた。
見とれてしまうくらいに、きれいだ。
今日はまだ、給食が始まっていないので、子どもたちがいない静かな図書室で仕事しながら、窓を開けてじっと見つめていた。
あと少しの短い命だからこそ、桜ってきれいなのかな。
その一日、その一瞬を、見ておこうと思う。
「三ねんねたろう」(大川悦生/文 渡辺三郎/絵 ポプラ社)は、子どもの頃に読んだ。
うんとなまけものという印象があり、みんなが起こしに来てもびくともしない。そこがすごいなァと思っていた。
その裏にある、人間の絶望や無言の抵抗などはわからなかったけれど、ねたろうのスケールのでっかさは感じていて、そこがどこか面白かったのかな。
三ねん三つきもねていたねたろう。
ある日、むくっと起き上がり、大変なことをやってのける。
地震の被害で、黙々と後片付けをされる方々の姿を見ていて、ふとこのお話を思い出した。
今日、ひとりの図書室で、声に出してこの絵本を読んでみた。
しみじみ、深い味わいのある物語だった。
ねたろう、起きれてよかったな。
つぶれてしまわないで、ほんとによかった。
このどこか可笑しいユーモアは、どうだろう。
悲しいのに、わきでるあたたかい笑いに、はげまされる。
大川悦生さんの文は、芯がちゃんとある。
形だけととのえても書けない。
昔のひとの思いが、悦生さんの文によって、バトンとなって伝えられている。
子どもの私も、もういい大人になったのだから、いまの子どもたちに手渡さないといけないな。
こんな春のひととき。
いまからまた、慌ただしくなる前の、ほんの静かなひとときに思ったこと。