サッカー子おに

「今日この本を選んだのは、誰かのたんじょうびだからです。」
と前置きすると、
「先生や!」「そうや!」
と子どもたち。
こうしてフィッシャーの「たんじょうび」を1・2年生4クラスに読んだのだが、もう一冊に2年生は「九ひきの子おに」を選んだ。(谷真介/作 赤坂三好/絵 ポプラ社 S45年初版)



この絵本は、夏の古本市で見つけたものだ。
えんどうまめみたいに、葉っぱの舟に九ひきならんで川を下っていく子鬼たちのイメージが鮮明に浮かぶのと、いろんな名前の鬼が出てくるのが子どもたちにいいと思い、秋になったら手渡したいと用意していた。

大体、たまごから生まれた九ひききょうだいなんて、面白い。
つので卵のからを、コンコンつついて生まれてきたんだから、これだけで興味をそそるよね。

葉っぱの舟は川をどんどこ流れ、滝にでたり、天狗や河童に出会ったり…。

一心同体のような九ひきも、実はいろんな性格の鬼がいると次第に明かされる。
「ようきな子おに」「いじわる子おに」「なきむし子おに」「おせっかい子おに」…。

ラストが、とても不思議なのだ。

陽気な子どもの心に「ようきな子おに」が住みつくと、その子どもはますます陽気になる。子鬼たちはそれぞれ、川べりで見かけた(自分に似た)いろんんな性格の子どもを追いかけ、舟を降りる。
そして、舟には「おこりんぼ子おに」と「なきむし子おに」が残る。

「さあ、のこった2ひきの子おにたちは、いったいだれのところへいくのでしょう。」

これで終わるのだ。


古本市で最初に読んだとき、これはどうして子どもたちに届けようと、ずっと考えていた。
私は、こんな風に結んだ。


「これで、このお話は終わりなんです。」
(子どもらは「え〜」「続きないの?」などとつぶやく)
「さて、2ひきの子おには舟に乗り続けて、○○川(うちの学校のある市に流れる川)にやってきました。そして、舟を降りると歩いて○○小学校(うちの学校)にやってきました。
そして、図書室に来てみたら2年○組の子どもがたくさんいるじゃありませんか。
おこりんぼ子おには言いました。お〜い。おこりんぼの子どもはいないかぁ〜?おこりんぼの心の中に住ませてください。
なきむし子おにも、同じように言いました。なきむしの子どもはいませんか?」

そうしたら、うれしそうな顔つきになった子どもたち。
はいはい、と手をあげた。

おこりんぼ子おにに住んでほしい子も、なきむし子おにに住んでほしい子も、両方たくさん立候補があった。

その様子を見てて、思った。

このお話の「おこりんぼ」や「なきむし」はじめ、マイナスにとらえられる性格でも、やっぱりこの絵本の描き方がいいんだな。
「私んとこ、来てもいいよ!」と言いたくなるような親近感があるのだろう。

お話が終わってから、T君が私のところに来た。
「あんな、サッカー子おにがいたらいいな。36人いるねん。それで、全員の心に入ったら、みんなサッカーがうまくなる。」
「ほんとやな!T君、それはいいな。」

T君は、サッカーが好きなのだ。
そうやって、自分の生活に置き換えて「僕だったら、これがいいな。」と思える想像力があるって、すごく素敵なことなんだ。

その物語から展開して、自分の物語をつくれる子どもに育ってほしい。
日ごろからそう思っている私には、このT君の言葉は誕生日にぴったりな贈り物になった。