すきまについて思うこと

すきまがある本が好きな私は、ただ淡々と読んで終わりより、子どもたちがあれこれつぶやいて彩りを添えてくれる時間を愛する。
それは一斉に何かを言わせたり、ゲームになったりするのではなく、それぞれがつぶやく。そして、あるつぶやきに呼応してつながる。
そんな時間が訪れると、その本が今までにも増して大切に思えてくる。
(アニマシオンの内容にもよるが、ゲーム感覚になったアニマシオンはあまり好きではない。本が手段になってしまうのが嫌なのだ。)

ひとりの子が「あのなあ、私だったらな、〜やったらと思うわ。」とつぶやく。たどたどしく言うので、長くなることもある。
ここのクラスはドラマのある物語を好む。
その子のつぶやきを終わるまでじっと待っている。
ドラマの先を予測出来る子が多い集団は、それが出来る。
待てない子を上回る空気を作れるからだ。


すき間があまりないなと感じる時は(それは本の中身によることもあるし、子どもたちのコンディションがそうさせることもある)、私の方から「なあ、〜な時って、みんなだったらどう?」とけしかけることもある。
そこでみんながわあわあつぶやくことで、空気が少し動く。
ああ、動いたな、と思ったら「じゃあ、次いくよ。読むよ。」と先に進む。みんなはまたすっと静かになる。


そこまでいかない集団は(たとえば静かにすることが大きな声で注意する指導を受けているなど)、少しざわざわすると「静かに!」「うるさい!」と連呼する子たちが出現する。
その声が乱暴で、むしろうるさい。
また、他の子のつぶやきが待てなくて「先いって!」と催促する子もいる。
それは読みが冗漫になっている時は、完全に読み手の問題なのでその子の言うとおりなのだけれど、雰囲気としてはいい感じなのに…という時がある。
それは、その場の空気をよいと感じとれないのだ。自分のペースで読んでほしい。なのでいらいらした声になる。とげとげしくなる。
友だちのよいつぶやきが、心に届かないのだ。

デリケートなものなので、どれが正解とは言えない。

読書は基本的に、個人のかけがえのない感情がいききする営みだから。


でも、学校ならではの知った仲間との本の時間だ。
臨場感をたっぷり楽しむゆとりを、子どもたちのなかにつくってあげたい。
怒ることなく、自然につぶやきが止まり、また静寂が訪れ、読み聞かせが再開する。
つぶやく子も、他人の存在が入ってくる。
そうすると、まあまあよいタイミングで次に進まないかな。

そのようなことを考えながら、悩みながら、過ごしている。