子どもが入っていく本
「いやだいやだのスピンキー」(W・スタイグ/作 セーラー出版)。
スピンキーは怒っている。
スピンキーって名前があるのに、スピンクスとかスピンカリンクなんて兄弟は呼ぶ。
そもそも発端はそこだったのに、家族の誰も気がつかずスピンキーを小さい子扱いして、あやしたりキスしたり…わかってない。
絵本は、スピンキーのうかない顔が続く。ハンモックにストライキ!
スタイグは、こういう子描くとダントツ上手い。
手をにぎられて優しくされても、わざと手に力を入れずだらんとしているところなんか、にくい。
子どもたちは、どの立場に立つかと言うと…その子によって違う。
特にいたずらものはスピンキーに共感する。
最初にお父さんが、スピンキーが意味もなくすねてると思いこんで怒る場面がある。
そこで、N君が反応。
「理由、あるし!」
大きいはっきりした声で、返してした。
N君は、よくトラブる。自分が原因だけでなく、よく他人のもめごとにも巻き込まれる。そして、よく泣くし暴れる。
そんなN君には、スピンキーのやるせなさがようくわかるのだ。
理由を無視して、勝手に怒るお父さんが理不尽なのだ。
「そうやなあ!N君。スピンキーは理由ちゃんとあるもんなあ。」
私は思わず、N君に同調してしまう。
それくらい、N君の声はりんとしていた。
心が動く、N君。
いいな、と思うのだ。
「ぞうのエルマー」シリーズ(デビット・マッキー/作 BL出版)。
前に第1作目をよんでからずいぶん日がたっていた。読み聞かせには「エルマーがとんだ」を選んだ。
エルマーのいとこ、ウィルバーが出てくる。
このウィルバーが、おかしいんだ。「声の手品師」という表現がしてあるが、実際は近くにいるのに遠くにいるような声が出せたり、すごいのは他人の声が物真似出来るってこと。
風の強い日、エルマーとウィルバーはわざと外へ出かける。心配する他の灰色ぞうたち。
ウィルバーは遠くに行ったと見せかける声でだまし、2頭が風にさらわれていったと灰色ぞうたちに思わせる。
優しいぞうたちはいてもたってもいられなくなり、前のぞうのしっぽに鼻を巻きつけ長く連なって、エルマーたちを探しに出かける。
しかし、それはまったくのいたずらだったのだ…。
まず、声を変えてだますところで、子どもたちは大喜び。
「ウィルバーあかんし!」
「だまされてるよ!」
すぐに、お話の世界に入って喜んでいる。
こんなに入り込む物語だったなんて、子どもたちの前で読んでみて思った以上だった。
何が子どもを引きつけるのか。
やっぱりエルマーと、特にウィルバーのいたずらぶりで、そこに爽快さと可笑しさを見つけるのではないだろうか。
こんな風に、あっぱれとだます楽しさ。しかも、後味悪くなく、結局は灰色ぞうたちも歓迎しているのだ。
おなかの皮がよじれるような、こんな経験してみたい。
子どもの心のなかに、願望があるように見えてしまう。
子どもの気持ちが入っていく物語。
自分が思わずつぶやきたくなる物語。
私は、そんなすき間のある本が好きなのだ。