自分の体験と物語を重ねて
「絵本の本」(中村柾子/著 福音館書店)を読んでいたら、「物語の奥行き」という言葉が出てきて、いつも思う「物語に自分が入り込む隙間がある」ことについて論じられていておおいに共感した。
「日常の中にも非日常への入り口がたくさんあって、一枚の布だってハンモックにもなるし、魔法のじゅうたんにもなります。そのことに気づかせてくれるのが、奥行きのあるすぐれた物語です。」
著者の中村さんは保育の現場の実例を出しながら、いろんな本の世界を語っているが、小学校でも充分通用する内容だと思った。
「物語がヒントをくれる」と書いてある。
それで思いだしたことがあった。
去年の1学期に3年生に「八方にらみねこ」を読んだ。かいこ育てに支障をきたすほどのねずみの害に悩むおじいさん・おばあさんに恩返しをしようと、山にこもって「やまねこさま」ににらみの術の修業をするミケ猫の物語だ。
絵にも迫力があり、修業を続けるねこの変化に引き込まれる展開なのだが、その時子どもたちは神妙に聞いていた。
その絵本は一回しか読んでいない。
そしてもう3学期が始まった頃だろうか。
図書室前の廊下をぞうきんがけしていたY君が、図書室の戸をガラガラッとあけて「おう、先生!」と入ってきた。
手には水のしたたるぞうきん持って。
私は「ちょっと待った。」
雑巾のしぼりかたを今の子どもたちは知らない。(ついでに言うと掃除の仕方も知らない。ひとつひとつ教えないと、本だなに向かってほうきをはき、もうもうと砂ぼこりを立てる)
「ぞうきんはこうやって、しぼるんやで。」
と水場に連れて行き、見本を示した。
「修業が足りん。」と私が言うと、突然Y君は、
「にらみねこやな、先生。」と言った。
あの話を覚えてたのだと内心驚いたが、うれしくもあり、
「そうやで、Y君。毎日修行やで。にらみねこもそうやったやろ。」
Y君はにやにやしていた。そして、
「Y、がんばるわな。」と言ったのだ。
こういう時に、絵本が再びよみがえるんだな。
そして、振り返った時に、心のどこかに「八方にらみねこ」とぞうきんしぼりが刻まれるのだと思った。
絵本が十二分に語り、パフォーマンスのようにただただ聞いて楽しんで終わる本もある。
一回聞くとそれでいいやと思ってしまうのはなんでだろう。
やはり、「奥行き」がないからではないだろうか。
好みもあるかもしれないが、私は隙間がある本のほうが断然いい。