吾一に再会

先週実家に行った時に、例によって本だなを物色していたら「路傍の石」を見つけ持って帰った。

中学1年生の時に、国語の先生が手作りの教材で教えてくれたのが「路傍の石」だった。
わら半紙に手書きで印刷された教材。
先生の字と、わら半紙の質感。

何をどう教わったかは、残念ながら覚えていない。
ただ、主人公が吾一という少年だったこと。
吾一のお母さんが白い着物を縫う時にいじわるされて、赤い糸しかなかった。でも、お母さんは素晴らしい腕で縫い上げた。すると、裏を返しても赤い糸が少しも見えないほど細かく縫えていた。
この箇所だけは、はっきりと記憶している。
白い着物に赤い糸、というのがよほど印象が強かったのか、そのあたりを先生が丹念に授業したのか、今では定かではないのだけれど。

やさしい先生ではなく、冗談を言うようなくだけた感じでもなかった。好きだったかというとわからない。

でも、国語の授業は面白かったし、教わりながら自分は国語が好きだなと思っていた。
そして手作りの教材に、子ども心に先生の気迫を感じていた。

よく考えてみると、13歳の頃より何十年もたっているのに、まだ覚えている。それって、すごいことだ。

先生の顔は、もうおぼろげだ。
でも「路傍の石」は覚えている。

いま読み返している単行本「路傍の石」は、授業を終えてから学校で斡旋してもらい希望者が買ったのかな?

まだ途中だが、鉄橋にぶらさがったことがあると豪語した吾一が本当にやる羽目になってしまった最初の山場…
これは有名な場面なのだろうが、いまのいままですっかり忘れていた。
なのに、ほんのエピソードである赤い糸の場面ばかりを覚えているなんて、不思議なもんだなあと思う。

当時、私はよっぽど感心したのだろう。
家に帰って母に、
「なあなあ、お母さん。吾一のお母さんがな…!」
と話したのも、覚えているからだ。


序文で土屋文明さんという方が書いている、ここのところに心が動いた。

「私のような、作者と同じ時代のものには、よくわかることも、若い時代の人人には、わかりにくい部分もあるかも知れない。しかし、それはほんの枝葉のことだ。そういう、こまかいものは乗りこえて、その奥にある光を目ざして、読むべき物語だ。この物語は。」


そう、「ほんの枝葉のことだ。」と思えたら、いろんなことがもっとひらけるような気がする。
いまの子どもは読まないかも…
いい本なんだけど…
とあきらめている本が多いことに気付いた。

これでは、いかんなあ。