探し物はなかったけれど、かわりに

久しぶりに母のところに行ったついでに、押入れを物色してきた。
母の物持ちのいいことといったら驚く。大小の箱にひとつひとつ名称をつけて残している。
大人になってから思いだしたときに、ふらりと押入れを開け過去と対面する私。
小学生の時の通知表に始まり、作文や図画、リカちゃんハウスや紙の着せ替え人形、ボロボロの人生ゲームまである。
今回探したかったのはある児童書だったのだが、残念ながら見当たらなかった。
母は「そんなものほかす(捨てる)はずないのに…」と、真剣に残念そう。私が帰ってから家じゅう探しまくっても困るので(もう年だし)、「またゆっくり来たときに自分で探す。」と言い数冊の本と昔姉妹で作ったものを持って帰った。

児童書は、「もしもしラクダくん」(岡野薫子/作 ポプラ社)「ムクドリの青いたまご」(高橋 健/作 ポプラ社)「まがった時計」(吉田とし/作 国土社)「銀のほのおの国」(神沢利子/作 福音館)。
「もしもしラクダくん」懐かしいなあ。動物園で主人公の男の子が動物の前にある電話に10円を入れると、目の前の動物たちの声が聞こえる。男の子は、動物たちと会話しながら故郷に行ったりするファンタジーなのだが、何回も読んだな。値段をみると450円。今だと3倍の価格だろう。でも、本の造りの丁寧なこと。箱カバーまでついている。「ムクドリ…」の方はビニールカバー付き。
私は4人姉妹なので、実は私が買ってもらったのは「銀のほのおの国」だけだ。でも姉たちのものだった「ラクダくん」や「ムクドリ」も一緒に読んだ。
本を見ると子ども部屋の様子や、自分たち姉妹の会話などが断片的に思い浮かんでくる。
決して豊かに育ったわけではないのに、母は私たちにどうやって本まで与えてくれたのだろう。
私が、いま司書として仕事している背景にも、この母の存在は影響していると年を経るごとに思うようになった。
大人になって出会った本や育まれた感性もたくさんあるけれど、こうした思い出の本に再会すると、子ども時代に感じたものが自分の血肉になっているようで、何物にも代えがたいとつくづく感じる。

そして、姉妹で作ったものとは…。
お店屋さんごっこをしたんだろうな。画用紙や包装紙の裏に書いて切り取った果物・おかし・文具…あてもんにしたてのだろうか?裏に番号がふってある。
「ママプリン」「トンボ色鉛筆」「パイナップルパイン」。
笑うよね!昭和40年代に作成の品よ。
お母さん、あなたは偉大。

細かいことはもう覚えていないけれど、ここに紙のお金を作って姉妹で延々と遊んでいた。現物が残っていることで、思い出への確信ってわくんだなあ。そう、確かにやっていた。