大きくそだつ  長くかけてつなぐ

気がつけば、1か月以上も更新してなかった。

毎日を過ごすのが精いっぱいで…。
日々感じることはあれこれあり、元気にはしていたのだけど。


やっと、書けそうな感じになってきたかな。

今日からまた、少しづつ書いていこう。


先月末、長谷川義史さんの講演会に参加した。
私は、「いいからいいから」シリーズのおじいちゃんが好きなのだが、一方で多作の長谷川さんには筆が走りすぎるような傾向もあり、作品も面白いけど何度も読みたいかというと…といった感もあった。
(あくまで、私個人の感想だ。世間では超人気作家であり、子どもたちの市民権も得ている。)

でも、今回彼に人となりや考え方の一端に触れて、自分の道を自分で作ってきた人なんだということがよくわかった。

そして、そのベースをつくったのが小学時代の担任の先生なのだという。

その先生の美術センスや独特のものの見方が、長谷川少年には「かっこいい」と映り、そのエピソードを語られると、私たちの頭にもその先生がなんとなく浮かび上がってくるのだった。
40年以上たった今も鮮やかに覚えている、そのこと自体がすごいなあと思った。


子どもにかかわる場所で働いている人間としては、失敗もなく、誰からも非難されず過ごせたとしても、それが何十年たって子どもたちが覚えているかどうか。
痛い経験をしたとしても、その時の一生懸命さや共有感の深さが刻み込まれるとしたら?

いちがいには言えない、これは目立つことをせよなんて単純な話ではない。ただ、う〜んとうなり、いまも考えている。



「画家になりたい」と思って生きてきた長谷川少年は、大人になるまで一回もそれ以外の職業をしたいと思ったことがないそうだ。
彼の持つ、才能や特異性はもちろんあるにしても、まっすぐに生きよと方向づけした先生の存在(先生がそう意識したわけではないだろうけど)に、私は深いものを感じた。


現実の私は、小さい失敗でもへこみ、ああ冒険せんかったらよかった…と後悔してしまう器の小さい人間なのだが。
でも、大きく生きたいな。
結果ありきではいやだな、と思った。


この先生、かっこよくて。
後年、ある機会があり、先生と連絡の取れた長谷川さんは(すでに絵本作家になっていた)、会う約束をしようとしたら断われたという。

「わしも忙しいし、あんたもせなあかんことがいっぱいあるはずや。」


すごいなあ。
かっこいいなあ。


長谷川さんの言葉から、年を召されてもなお前を向いている先生の姿が浮かぶ。
でも、それは長谷川さんが、先生の言葉をそう受け止めているから、私たちにそう伝わるのだ。

つないでいく。
伝えていく。

世代を超えて、その人のなかのものを大事に渡していく。

そんなことを感じた。

彼の作品をもう一度ゆっくり読み直したい気持ちになった。

体調が悪い中、でかけたのだが、気持ちはうんと元気になって帰ってきた。