今年のイチバン

遠出した電車の中で読んでいた「なかないで、毒きのこちゃん」(デイジー・ムラースコヴァー/作・絵 関沢明子/訳 理論社)。
最初はなかなか文章が頭の中に入ってこなかったんだけど…。
途中から俄然面白くなってきて、「クマにはわからない」でにやにや。「ウサギが思いついたこと」で声を出して笑っちゃった。
後半は、大事に大事に読んだ。
あ〜、終わっちゃったって感じ。

そして、最初の入りにくかったところを、もう一度読み返した。

森で暮らす小さな女の子カテジナは、漁師の娘。
森のことは何でも知っている。

蛾、蝶、虫や鳥、シダ、苔、キノコ、松ぼっくり、動物たち…カテジナはみんなと友だちなのだ。

私が笑っちゃった「ウサギが思いついたこと」はね。
地球が丸いと父さんに教えてもらったカテジナは、「反対側の下の方はどうなってるの?」と聞いた。
父さんは「ここと同じだよ。」
「森もおんなじ?」
「まったくおなじだよ」
「漁師の小屋も?」
「もちろん」
「その漁師にも女の子がいるの?わたしみたいな子?」
「もちろん、いるにきまってるじゃないか」

さあ、カテジナは気になって仕方ない。
同じ服着て、同じ切り株に座って、同じこと考えてるんだ。
許せない!

そこへ、森いちばんのおばかさんだけど気立てのいいウサギがやってきた。
カテジナの憤慨ぶりに、最初は「そういらいらしなさんな」と言っていたが、反対側の下のウサギもいて私たちと同じように話してるのよと、言われると…。

ウサギとしても、それは、許せない!


2人は、「むこうの子」たちが思いつかないことをなんとかやろうと必死に考える。
宙返りしてみたり、ないしょ話してみたり…。
もう、それこそ一生懸命に。


最後は、2人は「これでダイジョブよ!」という境地にやっとなれるのだが…。


これって、ローベルの「がまくんとかえるくん」の世界にも似てるな。
でも、全体としてはアイヌで語り継がれてきたお話の感じを思い出させる。
生きものも人間も同じところにいるような。
いま読んでる途中の、ウェッタシンハ(きつねのホイティの作者)の「わたしのなかの子ども」にも通じるところがある。
幼い時に、自然と対等に過ごした子どもは大人になっても、その豊かに培われたものは残っていくのだろうか。
自然学校やキャンプなどではない、もっと生活のなかでの自然や生き物との共存。
そこで起こる、人間でないものたちとの語らい。


作者のムラースコヴァーは、1923年チェコ生まれの画家・作家。
この本も40年前に書かれていて、絵も彼によるもので、とにかく絵が素晴らしくよい。
お話は、声に出してひとつづつ読んでも、感触がまた違っていいかも。

「リスとアリとゾウ」の作者というのも、読んでからわかった。
この絵本も、不思議な味だったなあ。
絵にひかれて、これも手に取ったんだっけ。

作者による最後のあとがきが、またいい。

「この本に出てくる話はみんな本当にあったこと、
わたしに、
わたしの娘に、
おさなかったわたしの母に起こったことが元になっています。」


この本を読むと、私も私のなかにいる、小さな女の子の目を覚まさせたくなってくる。


起きろよ、起きろ。
小さな女の子。