どういうことだ

2学期に「一つの花」に関連したブックトークをするので、まず今西佑行の著作をたくさん読むことからしようと図書館へ行った。

そしたら、ほとんど閉架図書であることがわかった。
書架には、「一つの花」の入ってる短編集と何冊かがあるくらい。

貸し出しがないと、いまの新刊書が増え続ける公共図書館の現状では、みな閉架になるわけだ。

でも、これってどういうことだ。
これでいいのか。

子どもは、わざわざ検索機で調べたりなんかしない。
しかも、今西佑行なんて。

本棚をめぐっていて、いきあたって出会う機会を奪っているのでは。

そこに図書館職員の意思は、入ってはいけないのだろうか。
これは、必要。
古典だけれど、貸し出しはほぼないけれど…読ませたい。
そんな思いはないのだろうか。

なんだかなあ…。
閉架図書をたくさん借りた私は、ため息が出るのだった。


「肥後の石工」が私は大好きで、子どもの時に読んで以来何度も読み返した。戦争文学では、「ゆみことつばめのおはか」が好きだ。
司書になってからは「バイオリンのおとは山のおと」を知り、読み聞かせもした。

あとは知ってるようで知らなかった。こんなにあるんだなと思い、うれしい。
これから、読めるしあわせを感じている。