歌うのは、いま!

今日は、1・2年生の2学期最後の図書の時間だった。
12月に読むにふさわしい「十二の月のものがたり」(童心社)にする。
紙芝居で、前中後編の3部になっている。

去年の今頃にもここに書いたように思うけれど、私はこのお話が大好き。生きていくうえでの、いろんな知恵や本当の意味での教訓がつまっている。
それに、お芝居になったもの(「森は生きている」)も林光さん作曲の歌も、大好き。

それで、この紙芝居を読む時は少しアレンジする。

4月の精のはからいでまつゆき草が咲く春になり、娘が花を摘むところでの会話に、「金のゆびわ」のシーンを入れるのだ。
これは、本来の紙芝居にはない。
マルシャークの原作には出てくる。


  四月:   ほんとうにわすれないでくれるように、ほら、この
        指輪を記念にあげるよ。
        これを見て、ぼくを思いだしてくれたまえ。
        もし、こまったことがおこったら、これを地面か、
        水の中か、雪のふきだまりに投げて、こういいたま
        え。

         ころがれ、ころがれ、指輪よ。
         春のげんかん口へ。
         夏の軒場(のきば)へ
         秋のたかどのへ
         そして、冬のじゅうたんの上を
         新しい年のたき火をさして!

        

         ぼくたちは、きみを救いだしにいくよ。
        十二の月たちがそろっていくよ。
(「森は生きている」サムイル・マルシャーク/作 湯浅芳子/訳  岩波書店より抜粋)
 

「たいへんなことがあったら、このゆびわをはめてじゅもんをとなえるんだよ。」と4月の精に言わせ、「ころがれころがれ、ゆびわ
ころがれころがれ、ゆびわ」と林さんの歌のワンフレーズだけ挿入する。
子どもたちに一緒に覚えさせるのだ。

このイメージは何度となく観た、劇団仲間のお芝居やオペラシアターこんにゃく座の「森は生きている」の歌芝居が重なっている。
もちろん、林光さんの音楽で。



「娘がピンチになったら、一緒に歌ってあげるんやで。」
「うん、わかった!」

みんな、歌う気満々。
そして後半、女王のわがままな仕打ちが続き、ついに娘はゆびわを手に…(ここもアレンジの部分)。

ざわざわする子どもたち。

「いまかな?」
「いまじゃない?」

アイコンタクト。いまだよ!

「ころがれころがれ、ゆびわ
ころがれころがれ、ゆびわ

突然、風が吹き荒れ女王も兵士も先生もみな、吹き飛ばされてしまう…。

みんなの歌によって、こういう展開につなぐわけだ。
参加型のこんな日も、時にはいいよね。


司書としての自分だけでなく、いろんな自分がいるから、いかにも私らしい実践ともいえる。
やりたいことをずっとしてきた半面、どの職種でも正規の職員には縁のなかった私の人生?だけれど、いろんな世界に身を置いてきたからこその発想なんだろうな、と思うこの頃。

子どもたちにマルシャークの世界を楽しみながら伝えたいのだから、童心社もこのくらい?(どのくらい?)の脚色は許してもらえるだろう。いや、許してくださいませ。

学期末に書いてもらう感想用紙が、少しずつかえってきている。

楽しみ、楽しみ。