無理のない展開  これ貴重です

「ママ・ショップ 母親交換取次店」(セン・ジェンキンソン/作 斎藤静代/訳 主婦の友社
「母親交換取次店?」
まず、この題名に高学年の子どもは心ひかれるようだ。
どこの家にでもいるだろう、こうるさいお母さん。
テレビやゲームの規制をし、成績にうるさく、寝る時間にもチェックが入る。
あ〜あ、よそのお母さんがいいな。
どこかに自分にぴったりなお母さんがいるに違いない。

もちろん私も子ども時代に思ったことのある、こんな普遍的な「よくある願い」を、母親を交換するお店の存在によって、しゃれて生き生きした物語となっている。 


主人公のオーリの出した条件は3つ。
①1日2回ピザを食べさせてくれること
②すきなだけテレビを見せてくれること
③おもしろいこと



オーリの申込書はマッチャーという機械に飲み込まれていく。
そして白いカードが飛び出したが、どうも当てはまるママはいないとのこと。
オーリは考えて、ピザを「1日1回」に我慢して書きかえる。
ここが、いかにも子どもらしい心理で、作者の無理のない書き方に好感が持てる。話自体は奇想天外なのだが、気持ちに添ってるから納得できるのだ。
でも、これってありそうで少ない。
貴重です。


すると…「295番のママが当てはまりました!」

さて、295番のママとは?


物語に出てくるモチーフのひとつひとつがおもしろい。
翻訳ものだが、たとえばオーリたち子どもが見たくてたまらないテレビ番組の名前が<ほんとうにあった血の海殺人事件>。
あるある、こんな番組。
日本の子どもにも、充分共感出来る。


再度ママを取り換えた時に来た、44番「M44」の登場も強烈で面白い。このあたりの展開は読ませる。
<黒いムチ団><同志ガードルード>などのネーミングも心に残る。
翻訳者の斎藤さんの文章もよい。


オーリが本当のママに戻ってほしくて、ママの条件を必死で考えてマッチャー(機械)にも申込書を入れ続けるところも、考えさせられる。
ママってどんなママなんだろう、とあらためて真剣に考えるからだ。

この本は、書店で斜め読みして面白いと判断し学校図書室に入れたのだが、先に子どもたちが読んだ。
「どうだった?」と聞くと、結構リアルに再現してあらすじを語ってくれ、その表情を見ているだけて「ああ、これはいい本だな。」と思った。

高学年の子どもが、自分の生活と重ね合わせて読め、また現実から少し飛躍して楽しめる物語だ。

もちろん、私のように一度ならずとも「他のお母さんがいい」と思ったことのある大人にとっても、読む価値がある。