読んだこちらも漂泊して

「漂泊の王の伝説」をもう一度読み返した。
二度目だからわりと冷静に読めて、ワリード(漂泊の王)に添うことが出来た。
途中から、高学年にどう紹介しようかと思いながら読んだので、実はもう純粋な読書とは言えないんだけど。

でも、客観的に見ればこの物語はワリードの物語なんだな。

私はなぜ、絨毯織りハンマードの物語として読んだのだろう。

卓越したカスィーダ(長詩)の歌い手であるハンマードは、謙虚で家族を愛し、自分の仕事に誇りを持つ職人だった。
コンクールに出さえしなければ、ワリードに会いさえしなければ、ささやかでしあわせな人生だっただろうに。

ハンマードが続けてコンクールに出場した理由は、貧しい自分賞金を3人の息子たちに残してやりたかったからだ。
多分、自分の力をためすことよりも実利の方が魅力的だったのではないだろうか。

こんな場所に出てこなければよかったのに。

ハンマードのあまりにも過酷で壮絶だった晩年を想う時、私は複雑な感情に襲われる。

ハンマードの不幸は、自分で自分の能力を自覚していなかったことにあるのでは、とも思う。
資料編纂室の編纂係を命じられた時も、文字を覚え(ハンマードは文字を読めなかった)アラビアの歴史を知ることになったハンマードは、中年期を迎える年になって膨大な知識を得ることになる。
家族とひきさかれ帰りたい一心で編纂作業をし続ける一方で、知識を得る喜びを感じてしまう矛盾。

物語は、そこは詳細には語られていない。
私の読み方は、正道ではないだろう。

でも、人間が根源的に持つ知識を得たい欲求や喜びを、そこに感じてしまうのだ。

彼が命とひきかえに織った曼荼羅のような絨毯は、よこしまな野心を持つ者には凶器のような力を出してしまうのだけれど。


苦難の道を歩んでしまった彼の人生を、これでよかったのかと思うのと同時に、人間の業を考えさせられる物語だった。

ハンマードは死ぬまで、自分のしていることを言語化出来なかったのでは。だだ生き急いで、行為のみが示していたのでは。


ワリードの魂は苦しんで漂泊し、ラストにいくのだけれど、だからといってハンマードの死が許されるわけでなない。
真摯に生きる者を陥れる行為はしてはいけないし、してしまったら結局それは本人を、真摯に生きられなくさせてしまうのだ。


こうやって行間を読み、違う物語を想ってしまう私。
これを「漂泊の王の伝説」の書評とは、思ってはいけない。


妄想しがちな者の、へんなつぶやきとして読むことです。


やっぱり高学年にはこんな風には紹介出来ないな…(@_@)
自分が入り込みすぎる本は、難しい!