しおり いらんかえ











後期の図書委員会の取組がはじまった。
本を10さつ借りたら、手作りのしおりをプレゼントする。
この取組は去年もやったが、去年より子どもたちの反応もよい。
一度イメージが出来ているから、図書委員も受け取る側の子どもたちも前向きになれるのだ。
継続することによって子どものなかで認識されるというのを、私は知ってるつもりだったけど、実際に学校に入って子どもたちと触れ合うと、それはとても時間のかかることだと学んだ。
毎年同じことを踏襲するのがすべていいわけではないけれど、一つの手法を知ってから次にいくだけの時間の長さが、いま子どもには必要な気がする。
それで訳がわかると、そこからは子どもは早い。
イメージの飛躍も可能になるし、やっぱり柔軟だ。

司書の仕掛けでも子どもたちは喜ぶし、最初はそんな日々だった。
でも、それは子どもたち自身のものにはならない。
学校のなかで根付いていくには、子どもが自分で流れを体得しなければ実現しないと思う。


さて、低学年はさっそく、しおりを手に入れるためにどうしたらいいか頭を悩ませている。
図書の時間に借りてるのだけだと、1年生だと10週もかかる。
「中間休みや昼休みも図書室はあいてるよ。」と言うと…。
「あっ!そうか。」
「他の時間も借りに来ればいいんや。」
もう皮算用を始める1年生。
「なあなあ、ページの少ないの借りて、次々借りるってのもあり?」
こんなことを言ってるのは3年生だ。正直に聞くのがおかしい。
4年生は、しおりがどんなのか吟味したそう。
しおりの完成度如何で、燃えるか燃えないかを決めるのだ。

それぞれの年齢の成長で、反応が違うのがなるほどなあ、と感心する。
5・6年生は、横目線というのか、しおりの出来に敏感で、
「私だったら、もっとかわいくするのに。」
「あ〜、私らもやりたかったな。」
なんていろんな気持ちで見ている。おもしろいな。

授業じゃなく気ままに絵を描くと、その子が何に興味をもっているのかが垣間見えて面白い。絵が上手な子は回りもよく知っている。私がいままで見ていた子どもたちの関係から、また新しい面が浮かび上がる。色画用紙に描いた絵がラミネートフィルムでコーティング(パウチ加工)され、穴をあけてリボンをつけると、なぜかぐっと完成度が上がるのだ。作った本人たちもまんざらではなさそう!
楽しい取組になればいいな。
そして、この取組の目的…図書室への入室者が増えるかどうか?
お楽しみ、お楽しみ。



keiさんのおすすめ、「風が強く吹いている」(三浦しをん 新潮文庫)をやっと読んだ。
こんな展開あり?…と最初は冷静に読んでいたけど、物語の世界に入り込んだらあっという間に読んでしまった。

クライマックス、箱根駅伝のところではウルウル。
神童(これ、駅伝メンバーの名前)の走りの章では、ちょっと泣いちゃった。
会話のテンポもさらっと面白く、読みながら声に出して笑ってしまう箇所も多々あった。



「徹底管理型」で確かに人は伸びるが、そこから先は?
そもそもほんとの学びってなんだろう?

スポーツだけでなく、いろんなことに当てはまるこのテーマは、子どもの表現や教育にかかわっている私のような者にとっても、考える題材のたくさんある小説だと思う。


自信がない時ほど、目に見えるものに右往左往してしまうけれど、目に見えなくてもうろたえちゃだめなんだな。
そして人は、やっぱり人と触れ合って感じることで、一歩を踏みだす。
1人では出来ないことを、他の者が補う。

名コーチとなっていくハイジのその後の話も、いつか読みたい気がする。
そして彼がどんな伴侶を見つけるのかも。