読むことは生きること



父が病気で亡くなってしまった朋子は、母が生計を立てるため東京で洋裁の専門学校で学ぶことになり、岡山から離れ、母は東京へ、自分は神戸の叔母の家へと1年間別々に暮らすことになる。
これは、12歳の朋子が伯父・叔母・ローザおばあちゃま・家政婦の米田さん・運転手の小林さん・コビトカバのポチ子、そしてミーナと暮らした1年間を描いた物語「ミーナの行進」(小川洋子/作 中央公論社 ※文庫も出ている)。

はじめは、ミーナが病弱な故にとがった感性で朋子を翻弄する話なのかな…と思ったけれど、全然そうではなく大人たちがミーナと朋子を何重にも見守っている優しい物語だった。

そして、健康な朋子は精いっぱいにミーナを守ろうとする。
その健気さが行間からあふれ、水曜日の青年とミーナを取り持とうとする奮闘ぶりは読ませる。
図書館司書のとっくりさんへの淡い恋愛感情も生き生きと描かれて、読む人はみなかつてはそうだった時代を思い出すかもしれない。

朋子が岡山へ帰ることになり、図書カードを図書館へ返しにいくシーンがある。
返す必要はないと、とっくりさんはカードを朋子にもどす。
「何の本を読んだかは、どう生きたかの証明でもあるんや。これは、きみのもの。」


そう、何を読んだかはどう生きたかなんだ。
ほんとにそうだ。


こんなことが言えるとっくりさんはすごいな。
ああ、だから私は子どもたちにも本と出合ってほしいんだと思った。


ミーナがコレクションしているマッチ箱に書かれた自作の物語が、ところどころに盛り込まれるがどの話もいい。ミーナにとって、朋子という読者が現れたのは幸せなことだったのだ。
それは朋子が思うよりも、もっともっと大きなことだったに違いない。

物語に出てくる「フレッシー」は「プラッシー」?
幼稚園の時に、自宅近くで酒屋さんの軽トラにひっかけられ1日だけ入院した私。
すごくうれしかったことは、「くるみわり人形」の絵本を買ってもらったことと、酒屋さんがプラッシーを届けてくれたことだった!

年代によっては、懐かしい人もいるかも…
私は朋子よりは年下だけどね。