尻上がりに楽しくなって


「パトカーのピーすけ」(さがらあつこ/作 やぎゅうげんいちろう/絵 福音館書店
3年生の図書の時間。
少し幼いかなと思いながら、柳生さん描くピーすけが動きがありとてもよいので、元気なこの学年に絶対合うと思い、この本を選ぶ。
物語がはじまると車で遊ぶゆっくんの姿に、前に陣取った男の子たちは(ま、俺らはこんなもので今は遊んでへんけどな。)なんてクールな感じ。でも、「パトカーは持ってへんかった。」「いやショベルカーはあった。」などとささやいてる。
やっぱり、心つかまれているな…と読みながら可笑しくなる。
急な雨でゆっくんはあわてておもちゃたちを抱えて走っていき、パトカーのピーすけは置き去りにされてしまう。
 すべり台の下には、これまた忘れられたゆりちゃんのぬいぐるみのうさこ。2人はなんとか家に帰ろうととぼとぼ歩きだすが…。
 
ピーすけにとっては大冒険だが、実は狭い距離での小さい世界のお話だ。でも、その小世界がよく出来ている。
擬音しか話せないピーすけは「ピー」「プー」「ピープーポー」を繰り返す。そこが、逆にどういう気持ちで言ってるんだろうと、聞く者それぞれにまかされる。
坂道を転げ落ちるように走っていくピーすけに、まず前の男子たちが「うわ、ピーすけ、すご!」と、はじけるように笑い出した。その笑いはさざ波のように広がり、そこからみんながくいいるように聞いている様子がひしひしと伝わってきた。
いろんな共有の仕方はあるけれど、じわじわと盛り上がる感じで、笑い声が止まらない子もいたりで、読んでる私も先が読めない不思議な共有だった。
あとで1.2年生にも同じ絵本を読み、それはそれで楽しんだが、こちらはピーすけに寄り添い同化している感じ。しかし3年生は、少し距離を置いてピーすけしっかりせえよ、という目線で面白がってるように思った。
いつも思うことだが、同じ本を読んでも年齢で受け止めるところが違う。その違いがいつも興味深い。

同じ本を同じクラスで後日読んでも、またどこか違う時間になるだろう。同じ時間は訪れない。
後日、3年生の保護者の方から子どもがこう言ってたよと聞く。
「最初すごい幼稚な本やと思ってたのに、だんだんすっごく面白なってきたわ。僕だけじゃなくて、みんなと一緒に楽しんでるって感じやった。」
やっぱりそうだったんだと思い、うれしかった。