かたちはあとから

もうすぐ1学期が終わる。

最近、ピンポイント・レファレンスでひっぱりだこの私である。
ピンポイントとは…各自にとっては、という意味で。
つまり、「カブトムシの幼虫を育ててるんやけど、土は何センチかぶってたらいいのか」とか、「サンショウウオを調べたい」とか、「恐竜めいろをず〜〜〜っと待ってるのに、返ってこない」など。

自分にとっての1冊を、しつこくしつこく探している子どもたち。
そのエネルギーたるや、感服するなあ。

でも、一緒に探してくれる人がいるって、うれしいみたいだ。
探し方がわからないことが続くと「もういいや」と消極的になっていくし、探せばあるんだってわかると俄然意欲がわいてくる。

知的好奇心を育てるって、環境整備なんだなとつくづく思うこの頃。
私の子どもの頃にも、私みたいな人がそばにいてくれたらよかったのに。
地元の石碑や道しるべなどから歴史を調べる宿題が、小学校6年生の時に出た。
どうやって調べたらいいかわからず、親も教えてくれず途方にくれたことを思い出す。
あれは、心もとない思い出だなあ。

で、今日のタイトルなのだが。

図書の時間の感想をとっていて、いま少しずつかえってきているが、昨年にくらべ子どもたちの素直な書きっぷりが、すごく楽しい。
同じことをしてるのだが、子どもたちがこっちによってきたというか、私の本の差し出し方に慣れてきたというか。
「そうそう、それそれ。その感じ。そうくるのね。」
と、わかってきたのだ。

感じ方が自由になってきて、やわらかくなってるのに気づく。

やる気たっぷりで伝えても受け取るかというとそうでもなく、こちらが前を向いてないとやっぱりそれは意識は変えられない。
そのへんの匙加減は、手探りでやっていくしかない。

おでんさむらいを読み聞かせしたら気に入ってくれた3年生のD君。

「また、こんにゃくやダイコン、三色だんごでこうげきする本も読んでみたいと思いました。」

それは、「しらたきのまき」「こぶまきのまき」を読んだからなんだけどさ。自分で、その他を想像するのが面白い!


去年は「おもしろかったです」と簡潔に書いてるところが、今年は表現が様々なのが目立つ。そこが非常に気に入ってて、嬉しいのだ。

かたちは、あとからついてくるんだなあ。

と、今日思ったのだった。