OKINAWA その2














佐喜眞(さきま)美術館は、宜野湾市をほとんど埋めつくすかのような普天間基地に隣接している。
佐喜眞道夫さんが作られた私設美術館なのだ。
もともと先祖の土地だったところを、沖縄戦のあとアメリカ軍に取り上げられたのだが、交渉の結果1992年に土地の一部が返還され1994年に美術館が開設された。
常設は丸木位里・俊夫妻の「沖縄戦の図」。
小さいけれどもとても居心地の良い美術館で、佐喜眞さんの「心を落ちつけて静かにもの想う場を創りたい」(パンフレットより)という信念は館全体に漂っていると思う。


沖縄戦の図」の他に「残波大獅子 読谷村三部作」という絵がある。
私は、その絵にすごくひかれた。
平和な時は、村で太鼓の祭りもあったのだろう。
おそらく伝統的に受け継がれた手法で、音高らかに太鼓を響かせている人々の躍動感が伝わってくる絵。
足先がぴっと伸びて、バチを持ちかまえる姿が生き生きしている。
でも、絵は左のそうした楽しいひとときに対比するように、右のガマの中にひしめいている人々も描いている。
赤ちゃんを抱きながら、不安そうにいる母親。倒れている男性。

太鼓の音が聞こえてくるようだった。




美術館屋上へ上がる階段があり、上り詰めると基地が見通せる。
下を見ると、きわきわのところにもう鉄条網がはってある。
いくら本で読んでも、知識で知っていても、実際に見ると圧倒される。

こんなに基地に隣接しているのだという事実が、私にはけっこうずしんときたのだった。




また今回の特別展は、石内都写真展だった。
石内さんといえば、伊藤比呂美がかつてヌードを撮ってもらったりした時に知った写真家なのだが、広島の原爆記念館にある衣服を写真に撮ったと新聞で読み、前から見たいなと思っていた。
するとなんと、今回佐喜眞美術館でやっていたのだ!
しかも私が訪れた期間に…すごくうれしかった。




とにかく洋服のひとつひとつがとても愛おしいのだ。
背中やそでが焼けてしまい、襟やカフスだけが残っているもの。
スカートに血のしみがついているもの。
なぜか、私は母に手作りしてもらっていた子ども時代を思い出す。
サッカー生地のワンピース。姉とおそろいだった。
京都の老舗の生地屋さんであるノムラテーラーで、ボタンを自分で選ばせてもらったこと。
そんな小さな思い出が、次々と浮かび上がってきた。

石内さんのなかに、この洋服たちに対する「愛」があるから、私はそんなことを思い出したのではないだろうか。
これらを着ていた人たちは、一瞬にして亡くなってしまった。
でも、写真に撮ることで、現代の私たちが「こんな可愛い生地のワンピース着てた人って、どんな人だったんだろう。」「小花のスカート、お気に入りだったのかな。私も好きだな。」と思う。

いつのまにか死んでしまった人と対話している私。

でもこの写真を見た人は、おそらくみんなそう思うのではないかな。


この写真展は広島市現代美術館では、8月10日(日)まで。東京では目黒区美術館 11月15日(土)〜1月11日(日)にやるそうだ。もしこのブログを読んで行きたいなと思った方があれば、ぜひ実物を見てほしいなと思う。
また新日曜美術館(2008年7月27日放送)< シリーズ・創作の現場ドキュメント(1)写真家・石内都/「ひろしま」との対話>を見ると、石内さんの思いがよくわかる。

佐喜眞美術館のHPは、 http://sakima.jp/exhibition.html
先に書いた、石内さん撮影の洋服が掲載されている本は出版されている。「ひろしま」(集英社